るちゃんです。。。ღ˘◡˘ற♡.。oO
だいぶ前にどこかで知った話です。
それは、子供たちが通う学校、英語で言うなら「スクール」についてのことです。
実はこの「スクール」の語源になっているのが、「スコラ」なのだそうです。
ウィキペディアで「スコラ学」と検索すると、次のような説明文が載っています。
スコラ学はラテン語「scholasticus」(学校に属するもの)に由来する言葉で、11世紀以降に主として西方教会のキリスト教神学者・哲学者などの学者たちによって確立された学問のスタイルのこと。
このスコラ学の方法論にのっとった学問、例えば哲学・神学を特にスコラ哲学・スコラ神学などのようにいう。
そういえば、私は子供の頃、「大草原の小さな家」が大好きで毎週欠かさず見ていましたが、あの物語の中に出てくる小さな村の教会が子供たちの学校でもありました。
日曜日は礼拝のための場所、平日は子供たちの学校・・・
つまり、もともとは教会が学校だったのです。
そうなると、学校で聖書が教えられるのは当たり前。
子供たちも十戒を覚えさせられました。
何が良いことか、何が悪いことか、その基礎をきちんと教えられたのです。
ところが、いつの間にか公立の学校から聖書の時間が削られていきました。
アメリカは人種のるつぼと表現されるように、移民の多い国です。
彼らは自分たちの宗教とともにやってきます。
すると、もともとは皆がクリスチャンで、学校で聖書を教えることが当然だったのに、「うちはキリスト教じゃないですから、学校で子供にキリストとか聖書を教えないでください!」という親御さんからのクレームがつくわけです。
そうこうしているうちに、公立の学校からは聖書の時間が消えてしまいました。
ある人は、アメリカが退廃してしまった原因はここにある、と述べていました。
イエス・キリストと聖書をないがしろにし、子供たちにみことばを教えるのをやめてしまったからだ、と。
み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、戒めを重んじる者は報いを得る。 (箴言13:13)
昨今、アメリカの銃乱射事件について聞くことが多く、本当に胸が痛くなりますが、若者たちが退廃しているのは、大人たちが退廃しているからです。
いつでも、大人たちが残した負の産物によって、次世代の子供たちがその刈り取りをさせられていると感じます。
その大人たちは、子供の頃に聖書を正しく教えられなかったのです。
十戒も教えられず、どうして人を殺したらいけないのかがわからないのです。
日本のことですが、ある小学校で子供が先生に聞いたそうです。
「先生、どうして人を殺してはいけないの?」
先生は答えられなかったそうです。
牛や豚は殺して食べるのに、人間は殺したらいけないことが先生自身もわからない・・・
もし聖書を知っていたら、「それはね、神様がご自分に似せて人間を造られたからですよ。そして神様の教えの中に『殺してはならない』と書いていあるからですよ。」と子供たちに教えてあげられるはずです。
今、大人たちこそ神のことばに立ち返るときが来ています!
そしてもちろん、心の柔らかな子供のうちにこそ、神様のことばを子供たちにいっぱい聞かせてあげたいと心から願います。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うよう にならない前に…(伝道者の書12:1)
主なる神は言われる、 「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、 水にかわくのでもない、 主の言葉を聞くことのききんである。(アモス8:11)
God bless you!
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