るちゃんです。
10年前に目にしてずっと買おう買おうと思ったままになっていたある本がありまして、先日やっと購入しました。
マリリン・ヒッキー著「家系の呪いを絶て!」です。(エターナル・ライフ・ミニストリーズ発行)
今の私ならすぐに飛びつくタイトルですが、かつての私は「呪いなんて言ってるクリスチャンは頭がイカレテいる」と思っていたのね。
その時のことをちょっと書こう。
私は別の著者の本を買いたくてエターナルライフさんのサイトを眺めていたのですが、マリリン・ヒッキーさんの「家系の呪いを絶て!」に目が留まって一応さわりの説明を読んでみることにしたのです。
その内容はざっとこんな感じ・・
彼女のもとにカウンセリングを受けに来た女性が離婚しようとしていたのだけど、ヒッキーさんは、あなたが離婚すればあなたの娘たちも将来離婚することになるわよ!と語ったのだ。
私はそれを読んで何をバカな!と思ったし、家系の呪いなんて気持ち悪いこと言ってるなぁと思って、瞬時にこの本に対して(読むべきではない本)というレッテルを貼ってしまいました。
ところがその後、私はあれよあれよという間に、聖書が語る呪いについて学んでいくようになったのです。
後から思えば、私の家系は離婚が続いています。
母方のお婆ちゃんは母が子供のころから夫と別居生活で、事実上離婚。
母は私の父と離婚。その後別の男性と再婚。
私は一度結婚したけれど3か月で離婚。
知る限りでも3代続いて結婚生活が破壊されているのです。
また私の他のきょうだいにも同様のことが言えます。
私は今るちゃ夫と結婚しているけど呪いのもとにあったころは離婚だぁ~と叫んでいました。
もし家系の呪いを取り扱うことをしていなかったら、るちゃ夫とも離婚していた可能性は大いにあるのです。
さて、多くのクリスチャンが、「祝福」については喜んで飛びつくのですが、聖書はそれと同じように「呪い」についても語っています。
人が罪を犯したときの神様の究極の裁きの形は「呪い」です。
【必見!束縛と呪いからの解放】のページの中でもご紹介している、申命記28章にはっきりと律法違反をした場合の呪いが書かれています。(PDFファイルでご確認ください)
あるクリスチャンは、今はイエス様の十字架以後なんだからもう呪いはないと言われますが、私が聖書を調べたところ、呪いが完全になくなるのは黙示録22章3節「もはや、のろわれるものは何もない…」の新天新地になってからのことでした。
(このことに関してはみことばを調べるまでもなく、周りを見渡せば一目瞭然だと思うのですが)
また、世代を通して呪いが伝わることに関しては、次のとおりです。
出エジプト記20:4~5
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。・・・それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし・・
イスラエルの人々の間では、このことに関してあることわざが使われていました。
それが「父が酸っぱいぶどうを食べたので子供の歯が浮く」というセリフです。(エゼキエル18:2)
日本風に言い直すなら、親の因果が子に報いる、といったところでしょうか。
今だ多くのクリスチャンは、かつての私のように「家系の呪い」という言い方が気に入らないと思います。
そこで私は、内容は本当は同じなのですが、少しでも拒否反応をやわらげるべく、【酸っぱいぶどうの法則】なんて言い方をしてみうようと思いました。
やわらぎましたでしょうか? ^^;
さて、私は神の祝福と呪いという観点から聖書を読めるようになったとき、それまで理解できなかった数多くのことがわかるようになりました。
たとえば、善人ヨナタンがなぜ死ななければならなかったのか?についても、この【酸っぱいぶどうの法則】がぴたりと当てはまってしまうのです。
そうです、父サウル王の神に対する反逆の罪がその子ヨナタンにまで影響を及ぼしてしまったからなのです。
アカンの罪によって一家全員が死ななければならなかったことも、この【酸っぱいぶどうの法則】によるところです。
決して神がわからずやで無慈悲だからではありません。
さーて、今回も本題に入る前段階がえらい長くなってしまいましたが、(え”~、今からが本題なのかーい)多くのクリスチャンが謎に思っているカナンの呪いについて書こうと思います。
事は、ノアとその家族が箱舟を出たあとの時代に起きました。
創世記9:18~25
9:18箱舟から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。 9:19この三人はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである。
9:20さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 9:21彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 9:22カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 9:23セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。 9:24やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、 9:25彼は言った、「カナンはのろわれよ。 彼はしもべのしもべとなって、 その兄弟たちに仕える」。
多くの方が、悪いのは父ハムなのに、どうしてノアは息子のカナンを呪ったのか、と思っておられ、これに関してはいろいろな説が語られています。
また、セム・ハム・ヤペテの兄弟順についても、末の子=ハムとして、ハムが末っ子だという説もあったりしますが、あくまでも説で、私はやはり聖書が順番に語っているとおり、セムが長男、ハムが次男、ヤペテが末っ子じゃないかと思っています。
リビングバイブルでは「末の子ハム」と書いちゃっていますが、それは間違いでしょう。
ちなみに私は大正時代の聖書を持っていますが、どう書かれているか調べてみましたよ。
ちょっと見えにくいと思いますが、こちらの聖書では、「其の若き子」と書かれています。
ハムをもってして「若い子」という表現は私には不自然に思えます。
実は、末の子にしろ、若い子にしろ、この人物こそがカナンなのです。
創世記10:6では、「 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。」とある。
つまり確かに、カナンはハムの末っ子。
そもそも、ノア酔っ払い事件の記述のところでは、意味深に何度も「カナンの父ハム」とわざわざ明記している。
神が定めた祝福と呪いの法則、【酸っぱいぶどうの法則】によれば、罪を犯した張本人が呪われ、またその呪いが以下の子孫に影響を及ぼすのであって、張本人が呪いを免れ、下の世代から呪いが発動される、ということは決してありません。
つまり、ノアを大激怒させ、呪いをかけるほどの罪を犯したのはほかでもないカナンであったのです。
このことに関して、マリリン・ヒッキーさんが非常に興味深いことを語っておられました。
ノアに起こったこととは、彼がテントの中で裸になったことでした。ヘブル語で『裸になる』とは、何らかの同性愛行為が存在したことを意味しています。(家系の呪いを絶て!p25)
これには驚きです!!!
言われてみれば、酔っぱらって裸で寝ていたのを見られたくらいで、子々孫々まで呪うとは行き過ぎた話だとは思いませんか?
私は中学生のころから教会に行っていましたが、教会図書というのが備えられていて、いつも自由に本を借りて読むことができました。
その中に「呪われた子ハム」というタイトルだったと思いますが、そんな本がありました。
これは一般的によく知られている説で、父ノアに呪われたハムが黒人で、だから彼らには奴隷の歴史があるのだ、と。
ちょーっと待ったぁ~~
確かにハムは黒人ですが、ノアがハムを呪ったなどと聖書には一言も書かれていません。
ノアが呪ったのは、カナンであり、カナンは白人でした。
このカナンの子孫こそがソドムとゴモラの住民であり、同性愛・性的倒錯の罪により滅ぼされた人々です。
更には、のちのなってイスラエル民族に与えられた約束の地カナンの先住民こそがカナンから出た人々でした。
みなさんは、聖書は聖書で理解する、という鉄則をご存知だと思います。
次の箇所を、末の子=カナンと理解して読むと、ことはすんなり理解できます。
創世記9:24~27
9:24やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、
9:25彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、
その兄弟たちに仕える」。
9:26また言った、「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。 9:27神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。
カナンはそのしもべとなれ」。
ヒッキーさんが語られたヘブル語理解も加えると、ハムの末っ子カナンが酔っぱらったノアに対して忌まわしい性的罪を犯したと理解できます。
聖書には何度も酒に酔ってはいけないと書かれていますが、もしノアが酔っぱらったりしなければこの大事件もなかったことでしょう。
エペソ5:18
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。
「呪われよカナン」がどう転んでも黒人奴隷容認のことなどではないことがわかりましたが、それではその呪いは聖書中どこで成就しているか見てみようではありませんか。
聖書は聖書で理解しよう!
それはヨシュア記の中に見出すことができます。
ヨシュア16:10
ただし、ゲゼルに住むカナンびとを、追い払わなかったので、カナンびとは今日までエフライムの中に住み、奴隷となって追い使われている。
ありましたね。
イスラエル民族はセム系の人々ですが、ノアの語った預言のとおりに、約束の地カナンにおいてハムの末っ子カナンから出た民族を奴隷にしました。
つまり、【酸っぱいぶどうの法則】から言うならば、父カナンが酸っぱいぶどうを食べたので、その子孫たちの歯が浮く、という法則がみごとに見受けられるというわけですね。
しかも、カナンの住民の偶像崇拝や幼児犠牲や不品行は甚だしいものでしたから、ソドムとゴモラのことも考えてみるに、ハムの末っ子カナンの罪深い性質が受け継がれているのだと思われます。
父の教育というのはいつの時代も大変重要です。
カナンが祖父ノアに対して具体的にどんな性的不品行を行ったか気持ち悪くて考えられませんが、思うに、ノアが500歳のときにセム・ハム・ヤペテをもうけ、神様から箱舟を作るよう指示され、100年かかって箱舟を作ったのですから、3人の子供たちは100年間もその時代の人々の暴虐を見てきたことでしょう。
人々の罪が膨れ上がったゆえの神罰が大洪水であり、それを目の当たりにしてきたハムは息子カナンにどのような教育をしていたのだろうかと不思議に思います。
しかしみなさん!最後に、大変良いお知らせがあります!!
エゼキエル18:1~3
18:1主の言葉がわたしに臨んだ、 18:2「あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。 18:3主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。
エゼキエル書の中で、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』は今後イスラエルで用いられることがなくなる、と預言されています。
さて、この預言はいったいいつ成就されたと思いますか?
聖書は聖書で理解する、でしたよね。
それはイエス様のご登場のときであり、イエス様が名言されたことばの中にあります。
ヨハネ9:1~3
9:1イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 9:2弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。 9:3イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
当時のイスラエル人は【酸っぱいぶどうの法則】を知っていましたから、イエスの弟子たちが盲人を見てその理由を、本人の罪か親の罪かと問うたことは無慈悲でもなんでもありませんでした。
ある人々は、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。 」と言われたイエス様のことばを誤解して、「ほら、だから親の罪は子供には関係ないんだよ。」と早合点してしまいますが、イエス様がおっしゃった本当の意味は、エゼキエル書で預言されていたことの成就を告げ知らせるものでした!
聖書を順序通り読んでいけばわかることですが、イエス様の前にバプテスマのヨハネが登場して全イスラエルに悔い改めを説きました。
それで住民がこぞってヨルダン川にやってきて、罪を告白しバプテスマを受けたのです。
ある人々は、聖書の中で癒しが起きるとき、いちいち悔い改めなんてしてないよ、と言われる方がいますが、それは聖書の流れを把握していない証拠です。
罪の悔い改めが広まって、それからイエス様ご登場の舞台が整ったことを聖書は語っています。
エゼキエル書18章を読むならば、罪を悔い改めた者は親の罪を通してやってきた呪いを背負う必要がなくなる時代が来ると預言されています。
律法違反をするとその人物と子孫にまで律法の呪いが及ぶことがありますが、現代の私たちは幸いにして、全人類の身代わりになって罪を背負ってくださったイエス・キリストがおられます。
イエスの十字架は、律法の呪いからの解放を意味しているのです。
だから誰でも、神の前に罪を告白して悔い改めるなら、【酸っぱいぶどうの法則】から逃れることができるのです。ハレルヤ!
「呪いをもたらす37の罪」リストをご覧になりたいかたは是非、こちらのURLをクリックしてご覧ください。解放の手引きpdfファイルの中にあります。
処理されていない罪が見つかったなら、今すぐその罪を神の前に告白して赦していただきましょう。
家系の呪いからの解放宣言もありますので、ぜひ声に出して解放を宣言してください。
【酸っぱいぶどうの法則】はあなたの世代で食い止めましょう!
God bless you!
おすすめの本です('◇')ゞ
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