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母の日を覚えて(証し)

Facebookに投稿した記事を、こちらに再投稿させて頂きます。



今日は「母の日」私にとって、母との関係を語ることは非常に複雑で、できれば避けて通りたいほどのものだ。


証し「キリストにある依存症からの解放」を読んでくださった方には少しだけお分かりいただけるかもしれませんが、私が二十歳の時に両親が離婚し、なんだかんだいろいろあって一番ショックだったことは、母が私に性的にひどいことをした男性と再婚したことだった。


やっとの思いで母に「ママ助けて!」と言ったのに、どうしてその男と結婚するのかと考えだしたら、この世界が崩壊するほどの気分の悪さを覚えた。殺意さえ覚えた。




でも神様は赦しなさいと言う。キリストにある解放のステップを経て、この二人に対して、私は感情ではなく決断で赦しを宣言した。


母はクリスチャンだったが(信じられないことに!)この男性の救いを祈った。ちょっとだけ自分が偽善者にさえ思えた。この類の加害者の救いを祈るってあまりにもこの世の基準とかけ離れているから。


一年ほど前、久しぶりに母に電話したら、再婚相手が死んだと聞いた。なんと、イエス様を信じて病床で洗礼を受け、葬儀は教会で執り行ってもらったのだと母が言った。


・・・自分で救いを祈っておきながら正直驚いた。私のおじさんはクリスチャンだが「あの男だけは地獄に堕ちろ」なんてこぼしていたのを覚えている。


私の方が実被害に遭っているのに、なんてことを言うのかと思ったけけど。


私は、神様のふところの大きさにほとんどショックを覚えた。頭ではわかっていても理性ではついていかないことがある。


世界で一番憎いと思っていたあの男が救われた、そして私よりも先に天国に旅立った。


今日は「母の日」、母にメールをした。「ママ『母の日』おめでとう。私を産んでくれてありがとう。ママの健康を祈ってるね。」と・・・


かつて母にくってっかかって「どうして私なんか産んだのよ!生まれてきたくなかったよ!」と気が狂うほどに叫んだ。でも今日は本当に生きていて嬉しい、ママありがとう、と思えた。


自分の努力とかそういうのじゃなくて、ただ私のうちに住んでおられるキリストの御霊が私を変えて下さったのだ。


時に、赦しほど苦しい決断はない。しかし赦しほど神の奇跡を引き出すものはないのではないかと私は思う。


そのことをまず先にしてくださったイエス様ありがとう(*'▽')


最近、FBでお友達ができた。すごく嬉しい。だからこんな証も分かち合えたら一緒に喜んでもらえるかな?と思っている。

読んでくださってありがとうございます。





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