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詩編23編に見る水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

るちゃんです。。。ღ˘◡˘ற♡.。oO




今日はクリスチャンみんなが大好きな詩編23編のお話です。


詩編はとても長い書簡で、これが全部頭に入っている方はそうそういないと思います。


そのような中でも、この詩編23篇はクリスチャンなら誰もが知っている、何か特別な箇所ではないでしょうか?






ところが、私は長年、この詩編の深い意味を本当にはわかってしませんでした。


去年あたりだったでしょうか…


朝に色々なみことばを告白する習慣がありますが、この詩編23編も暗唱していました。


すると瞬時にハッとさせられた時があったのです。


この短い詩編の中に、新約の時代のクリスチャンに起こりうる過程が見事に表現されているではありませんか!





主は私の羊飼い。私は乏しいことがありま

せん…


イエス・キリストが私たちの羊飼いです。




 



主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます…


あぁ水のバプテスマのようではありませんか!







新約聖書のあのみことばが成就するのです!



主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます…


人が、キリストを通して水のバプテスマによって罪洗われて救われる時、その人は全く新し被造物となり、全く新しい歩みに招き入れられるのです。


さぁ、これは始まりにすぎません!


クリスチャンの人生はもっとエキサイティングです。




私の敵の前で、あなたは私のために、食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています…


初代教会の時代に弟子たちが経験したペンテコステの出来事を思い出しませんか?


天からの火によって聖霊に満たされたのです!


ともすれば捕えられて迫害される危険をも犯して、彼らは大胆にイエスを証しし始めました。


それも、知らない外国語で伝えるという大いなる不思議を伴ってです。



ついでに申しますと、出エジプト記では、イスラエルの民はまず、海を渡って行きました。


荒野の旅の末、こんどはヨルダン川を渡って約束の地カナンに入りました。


旧約の時代に「約束の地」といえばそれはカナンのことでしたが、新約の時代にイエス様が「約束」してくださったのは「聖霊のバプテスマ」でした。(ルカ24:49)


ところが乳と蜜の流れるところであるカナンには、もれなく敵も大勢ついてくるとオマケが!


彼らは戦って敵を追い払わなければなりませんでした。


そうです、私たちもクリスチャンになって更に聖霊に満たされたら、もれなく敵に囲まれるでしょう。


しかし心配には及びません。


なぜなら聖霊に満たされているからです。神の油注ぎがあるからです。


あなの力で戦うのではないからです。


そして、戦いがあれば勝利があります!





クリスチャンの人生は最高にエキサイティングです。


もちろんそのためには、悪霊との絆があったり、偶像との絆が残ったままではいけません。


意地悪だったり、欲にまみれたままでもいけません。



さぁ詩編23編もいよいよフィニッシュです!


まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。




永遠のいのちを頂いている我らの国籍は天にあり!


愛する主イエスと永遠に住む日がやってきます。


クリスチャンの希望はこの世にあるのではなく、天にあるのです。


これを思ったらどうしてクヨクヨなんかできましょうか?


旧約の時代に書かれた書簡のいたるところで、メシヤに対する預言がなされてあり、ともすると気づかないような箇所の中にイエス・キリストが啓示されています。


聖霊に満たされるまでは全くわからなかったのに、私はある時から聖書をこのように読むようになりました。


ちょうど宝探しのようであり、聖書ほど面白い本はこの世にはありません。(当然です)




今日は、詩編23編に見る、水のバプテスマとそれに続く力強い油注ぎである聖霊のバプテスマが隠されていることをお分かちいたしました。


まだ水のバプテスマしか受けておられない方がおられましたら、どうぞ聖霊の油注ぎを求めて下さい。



まだ、イエス様を知らない方がおられましたら、ぜひイエス・キリスト劇場へご案内したいと思います。


みなさまに神の祝福がありますように!


栄光在主!












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