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心を耕せ!

るちゃんです。


またしても、この日本で大きな地震が発生したと聞いて本当に胸が痛いです。


私の暮らす地域もかつて、311の時には震度6強の揺れに見舞われました。


あれから7年しか経っていないのに、大分熊本と続き、今度は大阪…


あぁそれなのに、ほどんどの日本人がいまだまことの神を知らないことを思うと、更に胸が痛みます。


その責任は私たちクリスチャンにあるのです。


福音の種蒔きが足りないのです。



さて、今から150年も前の時代に生きた、アメリカ最大のリバイバリストと呼ばれるチャールズ・フィニーはこんなことを言っています。



固く、耕されないままの心で霊的な力について学んでも何の役にも立ちません。

それは農夫が岩の上に種を蒔くようなものです。実りがありません。

だから、教会には実のないクリスチャンが多く、深い情熱をほとんど感じません。



たしかに、自分自身の過去を思うとき、心が熱く燃えていたのは救われた後の数年に過ぎませんでした。



それはちょうど、アルバムの写真が時間と共に急激に色あせて、カラーだったのがセピア色になってしまうようなもの。



フィニーは言います。


もし、心が耕されているなら、出て行って地獄への道に立っている罪人に話しかけ、求めるたましいを主に導くことで、さらに心が熱く燃やされます。


そして、もし私たちの心が耕されていないまま、みことばをどんなに学んだとしても、それはかえって私たちを一層かたくなにしてしまうことさえあるのだと言っています。


なんということでしょう!


しかし私には十分身に覚えがあります。


もし誰かが「わたしの目にはあなたは高価で尊い」などというみことばを私に語ってきたら、私は苦々しい思いで心がいっぱいになっていました。


冗談じゃない、そんなことがあるものか!


私の心が永久凍土のようにカチカチだったため、みことばの種が蒔かれても弾き飛ばしてしまうほどだったのです。


しかし神と人の愛によって凍った畑が溶かされ、鍬が入れられ、耕されるにつれ、かつてあれほど嫌悪感を感じていたみことばがとうとう芽を出し始めたのです!






そうして気づけば、みことばの戸が開かれ、暗闇だった私の心に光が差し込み、思いが一新され、救われたばかりの頃に抱いていた熱い情熱が再び戻ってきたのです。


高校生の頃、授業中、まだイエス様を知らないクラスメートの事を見渡しては悲しくて涙が溢れ、とうとう教室から出て行かなくてはならなかったほど心が苦しくてたまりませんでした。


あの頃の思いが再び私の心に迫ってきました。


まだ救われていない親類のこと、地域の人のこと、日本人のこと、福音を知らない人がいっぱいいることを思うと胸が痛い。


早くこの国にリバイバルがやって来てほしい。




高校生のころ、学校中にトラクトを配っていました。


自分のクラスはもとより、昼休みの時間になると、よそのクラスに行っては、みんなの机の上にトラクトを置いていました。


不思議なくらい、恥ずかしいという思いなどまったくありませんでした。


私が自分がクリスチャンであることが自慢でたまりませんでしたから。



どこにでも聖書を持ち歩き、聖書を見たことのない友達に見せてあげることが嬉しくてたまりませんでしたから。


多くの人が、洗礼を受けたばかりの初々しいころに感じたあの情熱を、いつの間にか失ってしまいますが、心の畑が耕されて聖霊の熱い油注ぎを頂いたなら、再び伝道の炎は燃え上がるはずです。


まずは私たちが眠りから覚め、そして家族のために、地域のために、国家のために、執り成し祈り、福音の種を蒔こうではありあせんか!



God bless you!



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