髙橋健一 髙橋和美
(るちゃお)(るちゃん)
捕らわれ人には解放を!
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聖霊のバプテスマと異言について
るちゃんの体験談
みなさんの教会では、聖霊のバプテスマについて聖書的な説明がなされているでしょうか?また求める者に与えられているでしょうか?
私は、中学一年生の時に初めて福音派の教会に行き、すぐに洗礼(水のバプテスマ)を受けましたが、一度も教会で聖霊のバプテスマについて聞いたことがありませんでした。
もちろん異言についてもただの一度も聞いたことがなく、それが何か全く知りませんでした。
大人になって、異言を語る年下のクリスチャン姉妹と親しくなりました。彼女の妹は姉の語る異言の解き明かしもしていました。それらの事は私にとっては驚きでした。
何が何だかわかりませんでしたが、とにかく彼女たちの持っているものに魅かれました。彼女たちは親切で優しく、またいつも権威に溢れて祈っていました。
ある日、その姉妹が楽しそうに異言で歌っていました。すると不思議なことに私の口からも何やら不思議な言葉が溢れてきたのです。
当時私は、摂食障害でアルコール依存症で、自傷行為も止められないひどい状態でしたが、異言で歌うようになりました。
それはとっても楽しいものでした。初めて味わう平安でした。
ところが、残念なことに異言を語ることは長くは続きませんでした。というのも、それが異言というもので、聖書に書かれているとおりのもので、とても素晴らしいものだという知識がなかったからです。
自分でヘンテコリンな言葉を語っているにすぎず、自己満足にすぎないのではないかという疑いすら抱いていました。サタンは私から異言を奪ってしまったのです。
それから何年かして、私はとうとう「聖霊のバプテスマ」について正しく聞くチャンスに恵まれました。
自分が聖霊のバプテスマを受けているのかいないのかさえわからなかった私は、もういちど神様の御前に聖霊のバプテスマを求めて与えられました。
そしてやはりあの不思議な言葉が自分の口から出てきたのでした。
今回は、みなさまにも聖霊のバプテスマについての聖書的な教えをお分かちしたいと思います。また聖霊のバプテスマを受けた第一の証拠がなぜ異言であるのかも、聖書から説明していきたいと思います。
どうぞ最後までお読みくださって、すべてのクリスチャンが聖霊のバプテスマを受け、異言を語り、上からの力に満たされてほしいと願います。
これらのみことばは、イエス様が天に上げられる際に弟子たちに語った約束でした。そして弟子たちは約束通りのものを頂き、力を受けたのです
聖霊のバプテスマは力強い能力です。
イエス様の弟子たちは、いつもイエス様と一緒に行動し、イエス様のみことばに耳を傾け、素晴らしい働きもしていました。しかし、イエス様が十字架に架けられるとき、彼らはみな逃げてしまったのです。そう、あのペテロでさえも!
しかし、愛する主を見捨ててしまったような弱い彼らが後に変えられ、力強く伝道し、癒しや奇跡を行い、ある者は殉教の死に至るまでも迫害に屈することはありませんでした。なぜでしょうか?その力強さの秘密が使徒行伝に記載されているあのペンテコステの日にあったのです!
ルカ24:49
さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたはいと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。
使徒1:4~5
彼らと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
使徒1:8~9
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダとサマリヤの全土、および地の果てまでに、わたしの証人となります。こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
使徒2:1~4
五旬節(ペンテコステ)の日になって、みなが一つところに集まっていた。すると突然、天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分れた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
このみことばの中には、ふたつの事柄が示されています。一つは、聖霊に満たされること、もう一つは他国のことば(異言)で話すことです。今から、聖書はこれらのことについて何と語っているのかを見てまいりましょう。
聖霊のバプテスマによる10の力強い賜物
①あなたは力を受けます。
使徒行伝1:8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダとサマリヤの全土、および地の果てまでに、わたしの証人となります。
②あなたは助け主を与えられます。
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
③あなたは危険から守られます。
使徒行伝16:6
それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
④あなたは肉の心の望むままに動かされることはなくなります。霊的に価値のあることを求めるようになります。
エペソ2:3~6
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生れながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
⑤あなたはいのちを受けます。
Ⅱコリント3:5~6
何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
⑥あなたは真理の御霊に満たされます。
ヨハネ16:13
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
⑦あなたは父なる神に近づく特権が与えられます。
エペソ2:18
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
⑧あなたは希望を持つようになります。
ローマ15:4
昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです
⑨あなたは自由になれます。
Ⅱコリント3:1
主は御霊です。そして、御霊のあるところには自由があります。
⑩あなたはそれを一瞬のうちに受け取ることができます。圧倒的で明確な体験です。
使徒行伝10:44
ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に聖霊がお下りになった。
聖霊のバプテスマに伴うしるしである異言
異言は、人々が聖霊のバプテスマを受けた時、最初に与えられた御霊の現れでした。(使徒2:1~4)
この箇所では、人々は実際に存在するさまざまな国の言葉で語りだしたと書かれているので、「異言=外国のことば」と考える方もいますが、聖書全般を見ると必ずしもそうではありません。
使徒パウロは、Ⅰコリント13:1で「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても・・・」と言っているように、御使いのことばもあるでしょうし、天国のことばもあるでしょう。
使徒10:45~46
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。
当時、イエス・キリストを信じてクリスチャンとなったイスラエル人が、どのようにして異邦人クリスチャンも聖霊のバプテスマを受けたと判断したのかというと、上のみことばにあるとおり、彼らが異言を語っているかどうかによりました。
ですから今日でも、聖霊のバプテスマを受けたなら異言が語れるようになるはずですし、異言を語っているならその人は聖霊のバプテスマを受けていると判断できます。
異言で祈ることの素晴らしさ
私たちは、何をどう祈ったらよいのかわからないことがあります。また、遠くにいる誰かのために祈るとき、その状況がわからないまま祈るので、どう祈ったらよいかわからないということがよくあります。
私たち人間は、神と違って全能ではありません。それが次のみことばに示されている「弱い私たち」なのです。
しかし、異言で祈るとき、聖霊様自らが神のみこころにかなった祈りをしてくださるのです。異言の祈りは本当に素晴らしいものです。なぜなら異言の祈りは100%神様の御前に受け入れられるからです。
ローマ8:26~27
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
Ⅰヨハネ5:14~15
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
私は言います。御霊によって歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満足させることはありません。
ガラテヤ5:16
このページの最初に、私の体験を書きました。せっかく聖霊のバプテスマを受けてもすぐに異言を語るのを止め、宝の持ち腐れとなってしまいました。
また、聖霊のバプテスマだけでなく、みことばの真理に対しても無知だったため、敗北の人生を歩んでいました。今は、そのどちらも同じように重要だと知っています。
ところで、私はある時ネット上でデイビッド・ウィルカーソンという牧師の書いたものを見てハッとさせられました。
彼は、ニューヨークの貧民街の最も手に負えない青少年たちに対して福音を伝える働きをしました。その中には麻薬常用者たちもたくさんいました。
この世的な治療では、重度の麻薬中毒患者はほとんどよくなる見込みはなく、また病院で一定期間薬物から離れていたとしても、もとの生活に戻った途端、薬に手を出してしまうことが多いのです。
ところが、デイビッド・ウィルカーソン牧師のところでイエス・キリストを信じて救われた子どもたちの多くが、そのような中毒から本当に解放されているのです。
その秘密は・・・「彼らが聖霊のバプテスマを受けているかどうか」だと書いてあったのです!つまり、御霊に満たされているかどうかが、真の解放に至るかどうかの分かれ道なのです。
デイビッド・ウィルカーソン牧師の著書「十字架ととびだしナイフ」の中にも、薬物依存、アルコール依存など、ほんとに手に負えないような依存症の青少年たちが登場します。
そしてまた、私自身もかつてはそのような人物でした。今の私しか知らない人には信じられないかもしれませんが、本当にサイテーの人生を歩んでいました。
朝目が覚めた途端、ビールを飲まずにはいられない、アルコールが切れたら気がおかしくなったように離脱症状が始まりました。それは悪魔に取りつかれたような状態です。
大げさに言っているのではありません。狂気の世界でした。
摂食障害にしても、起きているときには常に何か口に入れたくて仕方がありませんでした。自分が食欲のかたまりにでもなったかのようでした。餓鬼でした。
それらは、決して肉の努力ではどうにもなりません。イエス様を信じてクリスチャンになったというだけでもどうにもなりませんでしたでした。
それがわからない兄弟姉妹たちからしたら、そうとう腹立たしく思えたかもしれません。信仰が足りないからとか、甘えているからだとか、そう思われていたと思います。
別のページに「束縛と呪いからの解放」を設けてありますが、自分の体験から言いますと、聖霊のバプテスマを受ける事や異言を語り続けることもそれらと同じように等しく重要だと信じています。
完全にアルコールから解放される前の悪あがきについて白状しましょう。
21歳の時からお酒を飲み始めて、あっとう間に酒量が増え重度のアルコール依存症になった私ですが、どれだけ飲んでいたかと言いますと、一晩でビールひとケースくらいは軽く飲めていました。
底なしであり、二日酔いもなく、翌日は目が覚めたら残りのビールをがぶがぶ飲むと言った状態でした。
友人から飛び火したかのように異言で歌いだしたるちゃん、それが何だかわからずすぐにやめてしまいました。そしてなんと34歳で高所からの飛び降り!!
脊髄損傷になり車椅子生活になりました。恥かしい話ですが、ちょーっと調子が良くなった私は、またしても「お酒飲んじゃおうかしら」という誘惑に駆られたのです。そして、しばらくやめていたお酒を飲んでしまったのです。
ところが、お酒をガバガバ飲んでしばらくするとピュ~っと口から吐き出してしまったのです。あまりにも気持ちが悪くなってしまったからです。
食べたものは常に吐き出していたけれど、酒だけは吐くものか!もったいな~い!と思っていた私が、なんと下戸になってしまったのです。あの二日酔いときたらまさに地獄・・・
いやいや、そんなわけはない。きっと体調がよくなかっただけに違いない、とばかりにまた日を置いていざチャレンジ!気持ち悪くなりませんように~、頭が痛くなりませんように~・・
またしても最悪の状態。思い切り吐いてしまいました。頭を外してしまいたいくらいの頭痛もありました。翌日は一日中気分が悪くて大後悔でした。できることなら胃袋を取り出してジャブジャブ洗ってしまいたいと本気で思いました。
なんと、御霊に守られて私は下戸にさせられたのです。
ちょうどこの体験と同じようなことが「十字架ととびだしナイフ」の中にも書かれていました。ヘロイン中毒の少年が、イエス様を信じ聖霊のバプテスマを受けて一度は中毒から解放されたのに、悪い仲間の誘惑にあってとうとう薬に手を出してしまったのです。
本当なら、このような人はもとよりもっと悪くなるのが常なのです。ヘロイン1本で済んだ人が2本欲するようになる…という具合に。
ところが、彼が体験したのは、「何も起きなかった」ことなのです。ヘロインの効果が全く出ないで薬物の症状から守られたのです!
この体験によって彼は神を体験させられて本当に全く変えられたのです!自分の努力では決してやめられなかったお酒ですが、神様は不思議な方法で私をお酒から守ってくださいました。飲めない体質になってしまったのです。
あんな気持ちの悪いものは二度と飲みたくありません!
聖霊のバプテスマについてもう一冊、るちゃんのおススメの本をご紹介します。
デニス・J・ベネット著「朝の九時」です。本当にエキサイティングな内容でした!!
聖霊のバプテスマは、聖書が言っている通り、神の条件を満たしているなら、「求める人たち」には誰にでも与えられます。(ルカ11:9~13)
先に聖霊のバプテスマを受けている人からの按手による方法や、水のバプテスマと同時に受ける人もいます。水のバプテスマより先に聖霊のバプテスマを受ける人もいます。
るちゃんのように飛び火してくる場合もあります。
順番や方法はどうであれ、この素晴らしい賜物を受けないことは、クリスチャンの歩みを力のないものにしてしまいます。
どうか全てのクリスチャンが聖霊のバプテスマを受けて異言を語り、上からの力によって前進されますように祈ります。