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キリストにある依存症からの解放

重度の摂食障害、アルコール依存、向精神薬依存、自傷行為・・・
​クリスチャンであった私がどのようにこれらの問題から解放されたかを綴った証です。

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最近のるちゃん

髙橋 和美(るちゃん)プロフィール

 

•1967年、千葉県に生まれる。

•14歳でクリスチャンになる。

•18歳で日本キリスト教短期大学神学科に入る。

•20歳過ぎから摂食障害、アルコール依存症を発症し、数年後には精神科クリニックにより処方された向精神薬の依存になる。

•26歳から33歳まであちこちの精神科病院への入退院を繰り返す。

•34歳のとき、衝動的にショッピングセンターの立体駐車場から飛び降りて脊髄損傷となる。

•40歳で結婚。そしてとうとうキリストにある解放を知ることとなる。

•現在、夫と二人で茨城県に暮らす。猫もいます🐈🐈

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​こちらの本の内容が以下の証しとなっております。文章の最後に販売情報も記載されています。写真は私が二十代後半、一番やせていた34キロの頃。身長は163cmです。

~ 私の証 ~

 

 1967年8月、千葉県のとある病院で私は次女として生れました。それはとても蒸し暑い夏の日だったと母が言いました。私の誕生の知らせを電話で聞いた父が「なんだ、女か。」と言ったということも、何度も母から聞かされた話です。

 厳格な公務員の父、優しいけれど常に不安定な心の母のもとで私は育ちました。私の目から見た父は恐ろしい支配者でした。父が母を足で蹴り、こぶしで何度も頭を殴るのを幼い時に見ました。それを止めに入った私も父に叩かれました。

 母は、何度か家出をしました。その時に母が知り合った親切な女性が天理教の信者であったことから、母も一時的に天理教にのめり込んでいました。 

 私も一度だけ母と一緒に天理教の大きな建物に行ったことがありました。小学校六年生の頃です。

そして私が中学一年のとき、クラスメートの中にエホバの証人の信者の女の子がいました。その子と仲良くなったのがきっかけで、お昼休みに「聖書の学び」と称する時間が始まりました。後で思えば、それは聖書ではありませんでしたが。

 

 そんな時、母の弟である叔父さんの薦めで、母と私は近所のキリスト教会に行きました。というのも、叔父さんはクリスチャンの女性と結婚して自分もクリスチャンになっていて、私たちにも本当の神様を伝えたかったからでした。

 その叔父さんがある日我が家を訪ねて来たとき、私が持っていたエホバの証人のもので、私が友人から買った赤い小さな本を見つけて言いました。

「和美ちゃん、それ叔父さんに売ってちょうだい。」

 私が買った値段は三百円ほどでしたが、叔父さんは千円でそれを買い取ってくれました。それから庭に出て、その本を燃やしました。

 私と母は、毎週いそいそと教会に出かけました。そこは旧リーベンゼラミッションの団体のドイツ人宣教師がいる三十名ほどの小さな福音派の教会でした。いつも本当に日曜日が来るのが待ち遠しくてたまりませんでした。

 支配者的な父の元から離れて、愛に満ちた人々の中にいたい…それは当たり前の感情でした。

それにもまして、本当に神様がいるのだと耳にするようになって、その喜びや期待は言葉では言い表すことができませんでした。

 私は、幼いころから「死」に対して並々ならぬ恐れを持っていました。死んだらどこへ行くのだろう…考えれば考えるほど答えはなく、ただ恐怖におののいていました。

 

 あるクリスマスの特別伝道集会の日、伝道師が教会に来ました。イエス様の誕生の物語を、それはそれは感情豊かに話されたのです。まるで、目の前でその情景が繰り広げられるように感じました。

 羊飼いたちに天使が現れたこと、家畜小屋でイエス様がお生まれになったこと、このお方こそが全人類の救い主であられたこと…今でもその時のことを覚えています。

 あぁ、イエス様が本当の神様だったのだ。人類救済のためにお生まれになって、私のために十字架にかかってくださったのだ。イエス様を信じたら死んでも天国に行かれるのだ!

 こんな喜びは生まれて初めてでした。これでもう、死の恐怖から解放されたのだと思いました。死んだら終わりじゃない、その先には永遠の天国が待っているのだ!その事が嬉しくてたまりませんでした。

 そして教会に行き始めて一ヶ月後には救いを受ける決断をしました。ひと月ほどの聖書の基本的な学びの後、私と母は洗礼を受けてクリスチャンとなり正式にその教会の教会員となったのでした。

十四歳の夏でした。

 

 ところが、面白くないのは父です。家長を差し置いて、勝手に妻と娘がクリスチャンになってしまったのですから。

 ある日、父が仕事から帰ってくると、小学一年生の子供くらいの大きさの仏像を持ってきたのです。骨董屋から買って来たのだ言っていました。そしてその少年期の聖徳太子だという木彫りの像をリビングに置いたのでした。

 一方私は、自分がクリスチャンになったことが嬉しくて学校にも聖書を持って行きました。友達にイエス様のことを話して聖書を開いて見せたりしていました。しかし、家では不思議なことが起き始めていました。

 それまで私は金縛りというものになったことがなかったのに、ちょうどその頃から毎晩のように恐ろしい金縛りに遭うようになりました。

 遠くから太鼓のような音が聞こえてくるのです。ドン、ドン、ドン、ドン…

 ちょうど、立正佼成会の信者さんだったお隣のおばさんが、よく朝から太鼓をドンドン鳴らしながら「ナンミョウホウレンゲキョウ ナンミョウホウレンゲキョウ…」とお経を唱えているのが聞こえていましたが、あの太鼓の音そっくりでした。

 「あぁ、また来る…いやだいやだいやだ…」と心の中で思いました。

 そして、サッと何かが私の身体を支配してしまうのです。すると全身硬直して身動きが取れないのです。何よりも、得体の知れぬ恐怖がいっぱいに広がるのです。部屋中の空気がシーンと鳴るのです。部屋中に何か禍々しいものが満ちていると感じるのです。

 目を開けることもできず、ただそれが去るのを待つしかありませんでした。その格闘ともいうべき時間は、本当は短かったのかもしれませんが、私にとっては永遠とも思えるくらいに長い恐怖との戦いの時間でした。

 しかし翌朝になると、そんな夜の出来事も夢の中のことのように思えて、いつもと変わらぬ日常が始まるのでした。そしてまた夜中になると始まるのです。

 

 ある日、ドイツ人の宣教師の先生が我が家に来て清めのお祓いをした方がいいと言ったことがありました。悪霊は人間の形をしたものの中に入ることが多いのだとか言っていましたが、なにか我が家にそういったものがあると思われたのでしょう。

 当時、エクソシストというホラー映画が流行っていました。エクソシストという意味が悪魔祓いだという意味だと知り、ドイツ人の先生があんなことをするのかと考えて、「へぇー、本当にそういうのがあるんだ!」と思いました。

 しかし実際は、家長でありクリスチャンでない父がそんなことを許可するわけがありませんでしたから、結局そのようなことは実行されませんでした。

 

 さて、教会での私はいつも優等生でした。洗礼を受けると決まった時から始まった学びは、私だけ一人その後もずっと続きました。毎週水曜日になると中学校の帰りに教会に行きました。

 そこでドイツ人の先生と一対一で聖書の学びをしていきました。頂いたテキストブックを使って予習復習もよくしていました。

 ある時は、ウエストミンスター小教理問答という小さな冊子を使い、中に書かれていることを一生懸命覚えました。授業中、机の下で小教理問答をこっそり開いてはブツブツと暗唱していました。そして学校の帰りに教会に行きました。

 優等生であること、頑張っていることを先生が褒めてくれることがとても嬉しかったのです。父は私が何をしても一度も褒めてくれたことはなく、批判ばかりでした。それに引き替え、教会では私はいつもみなから褒められました。高校生にして日曜学校の先生をやり、愛餐会にはデザートを作って持っていきました。

 高校では、昼休みになると教室を回ってはみなにトラクトを配っていました。特別伝道集会がある時は、友達をたくさん教会に誘いました。学校での私のあだ名は「伝道師」でした。

 

 そんなクリスチャンライフを送る一方、やはり私と家族には問題が山ほどありました。実は、私がクリスチャンになったばかりの頃、とても大変なことが起きたのです。

 

 中学校の午後のお掃除の時間でした。仲良しの友達と下駄箱の掃除をしていたとき、突然腰がグキッとなってその場に座り込んだまま動けなくなってしまったのです。

 

 おかしな体勢で座ったまま、小指一本でも動かしたら腰に激痛が走りました。担任の先生が自分の車で何とか私を病院に運んでくれましたが、そこでは特に異常なしと言われただけでした。

 

 私の腰痛人生が始まりました。中学生にしてギックリ腰になったのでしょうか。それ以来普通の歩行ができなくなり、中学校の帰りにはいつも整骨院に行って電気をかけてもらいました。大学病院も行ったし、整形外科も行ったし、鍼灸マッサージ、カイロプラクティックも行きました。

 

 高校生になってからは整形外科で特別に作った腰から胸の下まであるコルセットを毎日つけていました。それは映画「風と共に去りぬ」の中でスカーレット・オハラがぎゅうぎゅうとコルセットを絞めるシーンのあれにそっくりな代物でした。

 コルセットは本当に不自由でした。体育は全部見学となりました。クラス旅行に行っても私だけ登山などには参加できませんでした。ひとり宿でみなの帰りを待っていました。

 授業はとても辛いものでした。というのは、長時間同じ姿勢で座っていることができなかったからです。私は許可を得て、理科室の箱型の椅子をふたつ持ってきて、それを横倒しに置き、その上に自分の机を置いて高くしました。つまり、立ったまま教室の一番後ろで授業を受けていたのです。そして、立ったままの姿勢が激痛に変わると、今度は机の下に潜って座ったまま授業を受けたのです。

 カイロに行った帰りなどは激痛が更に増して、駅の階段に手をついて上がりました。制服姿の女の子がそんな恰好で階段を昇る姿を見て、人々が怪訝な顔をしていましたが、そんなことを気にしてはいられませんでした。

 

 腰がそんな状態で、精神的にも落ち込みました。何をしても腰が痛くて、何もする気になれなくて、二週間ほど続けて学校を休むこともありました。高校卒業のための出席日数も危ういほどでした。

 そんな状態でしたから、進路希望校であったナザレン教団の日本キリスト教短期大学の入試面接で、アメリカ人の先生が「アナタずいぶん学校を休んでいましたがダイジョブですか?」と言われた時はドキドキしました。落ちちゃうかもしれない…

 しかし無事に合格することができ、更に不思議なことに、新しい学校生活と寮生活が始まってからというもの、その二年間だけは腰痛から全く解放されたのでした。

 

 私が所属していたのは神学科でしたが、毎日思う存分聖書の学びができるのですから、本当に嬉しかったです。しかし、それは今にして思うと、信仰についての学びというより、学問的な学びであったと思います。 

      

 ですから何かレポートを書くときは必ず神学大辞典みたいなものを参考にしていました。また、ギリシャ語の勉強には本当に泣かされました。たった一文を訳すのに一晩かかったこともありました。それでも成績は良く、ギリシャ語のテストでも百点満点、先生から褒められて有頂天でした。

 

 その頃の私の夢は、牧師か宣教師になることでした。まだ若かった私は希望に燃えていたのですが、週末になって実家に帰ると、父と母の離婚問題がどんどん進んでいました。

母は私が幼い頃に言いました。

「ママはあなた達が成人したらこの家を出て行くから。」

 その言葉は本当になりました。なぜなら、言葉には力があり、言ったとおりになる性質があるからです。母は自分が言った事を、私が二十歳の時に実行しました。そして家を出て行きました。

 

 私は、日本キリスト教短期大学を卒業したら更に三年制のナザレン神学校に行くつもりでしたが、いつのまにかそのような気持ちは失せてしまい、少しずつ精神が病んでいったのです。  

 

 進学もしないばかりか就職をすることも忘れ、ただ短大を卒業した私は、かつて高校の時にアルバイトをしたことのある、キリスト教系の宿泊施設でアルバイトをさせてもらうことになりました。母のいない家で父と一緒に暮らすなんて耐えられないと思ったからです。

 

 しかし、東京のはずれにあるその場所は、春だというのにとても寒いところでした。夏のキャンプのにぎやかさは微塵もなく、山に囲まれたその場所は私にとっては流刑の地のようにさえ思えました。

 

 とにかく寒くてたまりませんでした。そして、そこで常駐で働いていた人の「ぶどう酒を少し飲むと冷えに効くから試してみなさいよ。」というアドバイスに従って、飲んだことのないアルコールを口にしました。

 

 ホワッとした気分の良さ…それが私のアルコール依存症の始まりでした。友達は神学校に行ったり、牧師と結婚したり、あるいはキリスト教の有名な出版社に就職していました。それに引き替え何という惨めな私なのだろうか!その上、大好きな母は家を出て行ってしまった…

 

 私には何もない、才能も、いるべき場所も、必要としてくれる人も誰もいないと感じました。そうすると、私はアルコールだけではなく、無性に何かを食べずにはいられない衝動に駆られるようになって行きました。

 結局、そこでの仕事は長続きせず、三ヶ月後には実家に逆戻りしていました。そして毎日父の食事の世話と掃除と洗濯だけが私のすることでした。

 

 こっそりお酒を買ってきては飲みながら料理をしました。まさか冷え性対策として薦めただけのお酒が、私を長年苦しめることになるとは知らなかったその人を、私は心の中でずいぶん責めました。

 

 あの人がお酒なんか飲むように言わなければこんなことにならなかったのに!

 

 しかしそれも自分が選択したことであり、彼女のせいばかりではありませんでした。そのことはずっと後になって赦しました。

 

 さて、私の転落劇はすごい勢いで進行していきました。過度の飲酒に加えて、食べたものをわざと吐き出すという過食嘔吐が加わりました。痩せてきれいになりたい、そうして父からも人々からも認められたいと思いました。

 現代社会、女の子は痩せていなければダメだという風潮がどこにでもあります。それは本当にいけないことです。女性の価値はそんなことで決まるのではないのです。

 

 しかしこの世の支配者である偽りの父サタンは、「もっと痩せろ、ダイエットしろ、そうでないとお前は醜いままで誰からも相手にされないぞ。」と語りかけてくるのです。

 

 そして多くの女性たちがその偽りを信じたがゆえに、ダイエットの罠や摂食障害の苦しみに捕えられてしまっているのです。

 そうなると比例して、精神的にもひどい状態になるのは当たり前。こうして精神科の門を叩いたが最後、向精神薬を大量に処方されるというコースが待ち構えていたのです。

 

 私は二十代中頃にはもう重症のアルコール依存症者であり、重症の摂食障害者であり、重症の薬物依存者になっていました。精神は崩壊しており、希死念慮と自傷行為にも捕われてリストカットを何度もしましたし、向精神薬を一度に大量に飲むということもたびたびやりました。そのたびに夜間の病院に運ばれて、緊急外来の常連となってしまいました。

 

 163㎝の身長で、体重は54キロから34キロまで落ちました。骨と皮ばかりで、体中に青い静脈が蔦のように浮き上がっていました。普通に歩く体力も失っていました。

 

 それでも毎日大量の食べ物を食べてはトイレで吐くことを続けました。来る日も来る日もそれをしない日はありませんでした。何かの奴隷になっている状態でした。やめたいのにやめることができないのです。その苦役を延々とこなしていなければいけないのです。

 

 ある日、私は夢を見ました。天井がパッと開いて鬼が降りてきました。ふと自分の手を見ると、真っ黒で長い関節をした指を持つ手が私の手をグッと握っていました。

 

 長い爪が私の肉に食い込んで、あまりの痛さに歯を食いしばりました。「やめて!放して!」そう思えば思うほど、その手はますます強く私の手を握りました。その手の主は、黒光りする体で私の横に寝そべっていました。顔は見ませんでしたが悪魔でした。

 同じ夢を二度見ました。実はその時、本当に握っていたのは父の手でした。アルコール依存症が進んでいた私は幻覚幻聴に悩まされていて、恐怖で気がおかしくなりそうだったのです。それで父の手を握っていたのでした。そして、私は父こそが悪魔に違いない!と思い込んでしまいました。いよいよ精神がおかしくなっていきました。

 仏像が運ばれて以来、我が家は本当におかしくなってしまいました。ポルターガイストのような現象が度々起きており、夜な夜な金縛りに遭い、何の原因もないのに突然私は腰を打たれて歩行困難になったのす。 

   

 そして、私は我が家のことを「悪魔の棲む家」だと思うようになりました。ちょうど私が悪魔に捧げられた生贄のように、我が家に捕えられ、アルコール依存やら摂食障害やらに捕えられてしまったのだと思ったのです。最終的には私は自分の命を絶つことばかりを考えるようになりました。

 それはもちろん向精神薬の影響もありました。リタリンやパキシルといった社会的に問題になった薬を私はたくさん飲んでいました。自殺者が後を絶たないという向精神薬パキシルこそが、後に私が飛び降りる直前まで日々飲んでいた薬でした。

 私は依存症の治療のため、あちこちの精神病院に入院しました。住まいがあった千葉県内外、十か所以上です。アルコール依存の治療で有名な神奈川県の久里浜病院には二十六歳という若さで入院しました。

 

 アルコール依存、薬物依存、摂食障害の治療で有名な群馬県の赤木高原ホスピタルという病院には二十八歳から入退院を繰り返しました。その他、県内の病院も都内の病院も良さそうなところはどこでも入院しました。

 

 そこで知ったのが自助グループというものでした。これは、依存症者本人たちから成り立つもので、原則は「言いっぱなし、聞きっぱなし」というものです。

 

 お互いの正直な話に耳を傾けることによって、自分の問題点を見つめ、仲間と一緒に「今日一日お酒をやめよう。」「今日一日薬物を止めよう。」と宣言するのです。

 自助グループの種類はたくさんあります。アルコール問題のAAが一番有名ですが、薬物依存者のNA、摂食障害者のNABA、アダルトチルドレンのACミーティング、その他ギャンブル依存者のGAまで様々です。

 私は、ギャンブル依存はありませんでしたが、その他の自助グループはほとんどどこでも入ることができました。麻薬や覚せい剤レベルの依存症者たちのダルクにも行ってみました。なぜなら、向精神薬リタリンなどは覚せい剤とほとんど同じだからです。

 その他には断酒会にも数回行ってみましたが、「酒なし花見大会」とか「酒なしバーベキュー大会」とか事あるごとに食べ物が出てくるのがとても辛く、摂食障害の問題も抱えている私にとっては非常にいたたまれない状況であり、すぐに行くのをやめました。

 さて、うら若き女性が二十六歳にして久里浜病院入りを果たしたわけですが、その時は心底期待していました。やっとこれでお酒から解放されるのだと信じていましたから。

 

 幻覚幻聴の他、コップに入れた水を口に運ぶと手が震えて水がほとんどこぼれてしまう、というくらい重症でした。

 ここに入りさえすれば、他の病気と同じように専門のお医者さんが直してくれるのだと疑いませんでした。しかし入院して実感したのは、誰も誰かをアルコールの問題から解放できないということでした。

 

 そこにいたのは、もう社会からも家族からも見捨てられたような自分の父親ほどの年齢の男性たちが大半で、私は希望を失いました。それでも懲りずに再入院したときには同世代の若い患者が数人いてちょっと嬉しかったのです。

 

 ある時彼らとグループミーティングをしました。その時のテーマは「自分にとって一番大切なもの」でした。

 

 輪になって椅子に座って一人一人が話します。

 

 最初の人が言いました。「私にとって一番大事なのはご本尊様です。」えぇ~、何それ!と思いながら聞いていると、次の人も次の人も、その次の人も「私も一番大事なのはご本尊様です。」と答えました。

 

 実はその病院はなぜか創価学会の信者さんが多かったのです。他にもそういう精神病院がありました。医院長も医者もスタッフも患者もほぼ創価学会員でした。

 

 さて、最後に自分の話す番が回って来て困りましたがこう言いました。「私にとって一番大切なのはイエス・キリストです。」

 

 そう答えたものの、本当に惨めでした。偽りの神を信じている人たちと結局は同じように依存症まっしぐらなのですから。

 

 赤木高原ホスピタルでは毎日自助グループのミーティングが開かれていました。そこでの治療の中心がそれだからです。朝食の後と夕食の後で、必ずミーティングに参加することが条件の病院でした。しかし摂食障害者の多くは食事のたびに大過食に陥り、食後トイレで吐くという大仕事が待っているので、なかなか人が集まりませんでした。

 人々は自分の話す番になるとこう宣言します。「アルコール依存症者の○○です。」○○は本名ではなくいわゆるアノニマスネームというもので、簡単に言えばあだ名です。すると他の人々は「はい、○○!」と言ってあげます。

 私で言うなら、「アルコール依存、摂食障害、薬物依存のるちゃんです。」というような感じです。(るちゃんというのは私がインターネット上で使っているハンドルネームです)

 

 最初、この自助グループの基本である「12ステップ」というのはキリスト教的なものだと聞いていました。ある二人のクリスチャン男性から始まったというAA。しかし、その文言の中には不思議なものがあります。それは「ハイヤーパワー」という言葉です。(日本語にすると高次の力)

 

 自分がアルコールやその他依存に捕われているものに対して無力であると認めること、そして自分が信じる自分以外の力、すなわちハイヤーパワーに委ねることを選択するというものです。

 

 私はそもそもクリスチャンでしたから、ここで言うハイヤーパワーは即イエス様だと考えましたが、説明する人によると、それは石でも木でも空でも何でもいいと言ったのです。個人個人が信じるナニカでいいと。

 

 そのことは私にとっては本当に嫌でした。石や木になんの力があるというのだろう!

 

 しかし、真の神イエス・キリストを信じる私もまた彼らと同じように問題から解放される術を知らなかったのでした。

 

 そこで当時のこれらのことを振り返って断言できることが一つあります。

 

 聖書には「あなたの信じたとおりあなたの身になれ。」とか「言ったとおりになる。」という言葉があるのですが、12ステップを用いた自助グループでは決して依存症の虜から解放されない秘密があるのです。

 

 なぜなら、彼らはいつも「私は○○依存の○○です。」と毎日のように宣言しているからです。そのように言っている限り、決して○○依存でない自分にはなれないのです。

 

 人は、自分の信じたとおりの人間になります。いつかそこから逃れることを夢見ても、毎日「私は○○依存の○○です。」とご丁寧に自分の名前まで入れて告白しているのですから、決して夢見た解放の日はやってこないのです。せいぜいよくて回復どまりです。

 ここで、解放と回復の違いについても知っていただきたいと思います。依存症者がよく言われるのが「回復はあっても完治はない」というものです。

 つまり、決してその依存症になる前のまっさらな状態には戻れないと言っているのです。だから我慢大会のようにお酒を止め続けるしかないのです。  

 

 摂食障害も、毎日恐る恐る食材の重さを量ってカロリー計算をしてちょっぴり食べる…こんなものが回復だというのです。

 私はそれを聞いた時、心から絶望しました。もう二度とお酒なんか必要なかった日々には戻れないのだ、もう二度とカロリーを気にせずには食べられないのだ、そう思いました。また、精神科の薬物なしに生きていくなんて考えられない事でした。

 それでも頑張るしかありませんでした。誰かがいうハイヤーパワーも、イエス様お願い!も何の助けにもなりませんでしたから。

 クッキーをひとつ食べて吐かないでいる訓練とか、徹底してカロリー計算をして食べるか、あるいはそんな事をしないで徹底して玄米菜食主義になるとか、とにかく頑張りました。

 

 しかし、解放というのは頑張るとか我慢大会とか必死に努力してそれを止めることではありません。人は自分を何かから解放する事はできず、それは他者によります。

 

 例えば、誰かの奴隷となった人が自分の自己申告や努力で奴隷から解放されることはできません。それどころか、逃亡しようとすればするほど捕まって重たい罰則が待ち構えているでしょう。

 

 ですから、その家の主よりも権威のある人が、「もう奴隷制度は廃止されました!」と布告してくれなくてはなりません。

 その権威ある誰かとはハイヤーパワーなどという得体の知れないものではなく、十字架で死んで甦られた主イエス・キリストです。

 解放とは全く自由にされること、それについては後でまたで書きましょう。

 

 さて、私にとって辛かったのは、食べることよりも吐かないでいることでした。ここで私が本当に試した究極の方法を話したいと思います。

 

 当時、私はやたらと健康雑誌を見ては何か自分のためになるものはないかと探していました。あれほど不健康な生活をしていてまだ健康になりたいと思っているのですから自分でも呆れます。

 

 さてそんな中に「飲尿療法」というかなりゾッとするような記事がありました。そして閃きました。「朝一番で尿を飲んでからご飯を食べたら、逆に気持ち悪くてさすがに吐く気になれないだろう。これだ!」

 それはある病院に入院中、実行に移されました。朝一番の自分の尿を紙コップに入れて飲むのです。それから病院の朝ごはんを食べに行きました。もちろんそんな恐ろしい事を試しているとは誰にも言えませんでした。

 

 結果から申しまして、その方法はうまく行かず、すぐやめにしました。なぜなら、自分があまりにも惨めになってしまったからです。

 

 無理もありませんが、普通の人々は摂食障害者が食べ物をわざと吐く事を全く理解できません。吐くのを我慢すればいいだけのことじゃないかと思われるのです。しかしそれはなったことがないから言えることであって、机上の空論にすぎません。

 

 尿を飲んでまでも吐くのを止めたいと思う気持ちなどわからないでしょう。そしてそんな究極の選択をしても過食嘔吐は治らなかったのです。

 

 依存症者は努力が足りないから治らないのではありません。意志が弱いからよくならないのでもありません。もし治るならどんな努力だってしてみせるとさえ私は思っていました。

 専門家という人が開催するセミナーにも行き、カウンセリングにも行ってみました。       

 

 心理学やアダルトチルドレンの本、様々な食事療法の本も読み漁りました。

 

 こんな事もありましたが、ある病院の医院長先生が、チベットから持ち帰った偉いお坊さんの袈裟のキレハジを持って来て患者達に配り、こともあろうかクリスチャンの自分までそれを有難くもらって手首に巻いていました。

 

 また、ある雑誌の裏に載っていたパワーが出るブレスレットも買いました。とにかく、やれることは何でもやってみました。(これらはオカルト行為なので絶対にやってはいけません。)

 

 しかし状況はますます悪くなるばかりで、年齢もいつしか三十歳を過ぎていました。

 

 家で死んだように過ごしていたある時、もうこれで最後だと言って、父が探してきた病院に入院しました。徹底した玄米菜食の病院で、医者は私の摂食障害を食事療法とカウンセリングで直そうとしてくれましたが、効果はありませんでした。

 

 カウンセリングルームに行くと若い女性の先生がいましたが、何を話したか記憶にありません。そこでは、中学生のころからの腰痛(短大の時一時的に治ったけれどその後再発していました。)の治療もしましたが、これも一向によくなりませんでした。

 

 再び実家に戻った私は、もう決して何の治療にも行かないと決心しました。なぜなら、私がよくなる治療などこの世にないとわかったからです。そしてベッドから起き上がることもできないほどに体力を失って、なんとか日々を過ごしていました。

 

 それは三十四歳のある朝突然やって来ました。目が覚めた瞬間思ったのです。

 

 「今日なら飛べる!」

 

 鳥のように飛べるのだと本気で思いました。そしてすごい勢いで着替えて、ガレージにあった自分の自転車に乗って走り出しました。

 

 行先は地元のショッピングセンターでした。そこへ着くやいなや自転車から飛び降りて、その建物の駐車場へと続くらせん状のスロープを走って行きました。もちろんそこは歩行者の立ち入り禁止区域です。

 

 朝起きた瞬間からずっと楽しくて高揚した気分が続いていました。恐怖なんて微塵もありませんでした。3階までたどり着いたとき何故か思いました(4階は高すぎるからやめておこう。死んじゃうかもしれないから…)

 

 つまり、自殺するつもりではなかったのです。

 

 そして3階に来ると一瞬の迷いもなく助走をつけて数メートル走り、私の足はその建物の縁から離れたのでした。10メートルの高さ、下はコンクリート。飛べるわけもなく、ただ落ちたのでした。 

 

 本来なら3階であっても死ぬには十分すぎる高さだったのですが、向精神薬によって思考がおかしくなっていました。

 

 気づいたらどこかの病院のICUのベッドにいて、たくさんの機械に繋がれていました。喉の奥まで何か器具が挿入されていて声は出ませんでした。父がいました。あぁ、私は飛び降りたんだ、そして助かったんだ…なんとなくそう思いました。

 

 私は脊髄損傷になっていました。命は助かりましたが、脊髄の神経が損傷したために両下肢部分に麻痺が出ました。今まで自分の足で自由に歩けたのに、いきなり足の感覚はなくなり歩けなくなったのです。

 

 それだけではなく、膀胱直腸の障害も残り、通常の排便排尿機能も失ってしまいした。これらのことのリハビリには本当に長い時間がかかりました。最初、自分で着替えることもトイレに行くことも、すべてが人任せだったのです。

 この時期はとても大変だったのですが、書くと長くなりますので省略させて頂きます。

 

 さて、私は身体障害者になり車椅子利用者となりました。今度は依存症の問題ではなく、身体的な問題で病院をいくつも変わりました。最終的に埼玉県にある国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に行き、それから併設されている国立身体障害者職業訓練校に行きました。

 もう歩けないし、もともと社会に出てバリバリ働いていたわけでもなかったのに、なぜか気づいたらそういうレールに乗っかっていました。日本全国からたくさんの障害者たちが集まっていました。

 

 聞こえない人、見えない人、歩けない人、中にはヘレン・ケラーのように見えない聞こえない喋れない人もいました。見えなくて車椅子の人もいました。その他内部障害を抱えた人もいました。知的障害・精神障害の人たちもいました。

 ここではほとんどの人が親元を離れて寮生活をしていました。それぞれの希望と能力に応じてさまざまな技能訓練がありました。私はOAビジネスコースというクラスに入りました。そこで初めてパソコンを習いました。

 

 ワードやエクセル、簿記などの勉強とそれに伴う検定試験の日々でした。三十歳も過ぎて車椅子になって、自分が何のために勉強しているかわかりませんでしたが、そもそも私には自分の意志というものがない性格だったので、周りに言われるがままの人生を歩んでいました。

 

 しかし、そんな中でも最高に良い事がありました。

 私は三百人ほどが集まって食事をする食堂でも、食前の祈りをいつもしていました。胸の前で手を組んで心の中で「神様この食事を感謝します。」と言っているだけのものでしたが、ある時ひとりの男性がそばに来て言いました。

「あの…もしかしてクリスチャンですか?」

 私はそうだと答えると、彼は自分も教会に行きたいと言うではありませんか!

 

 それで、ちょうどその頃別のクリスチャンの人から教えてもらった教会に車椅子を走らせて行っていたので、彼も連れて行ってあげることにしました。

 

 しかし、彼は右半身マヒで、いつも杖をついて大変そうに歩いているのです。  

 

 車椅子でビューっと飛ばして行くのとはわけが違います。どうしたものかと思い、それでしばらくは誘わずにいてしまったのです。ところが彼がまた来て「あのー、教会いつ連れて行ってくれるんですか?」と言うではありませんか!

 そして、聞けば彼は自分の車を持っていることが判明。なんだそれを早く言ってちょうだいよ!

 

 そんなことがあって、逆に私がその人の車に乗せてもらって教会に行くことになったのです。それまで三十分以上も必死に車椅子を走らせて教会に行っていたのが、それ以来交通手段が車になったのです。私こそ大助かりでした。 

 そして、その男性こそが今の夫、健一さんです。

 私が健一さんと出会った頃、まだまだ私はひどい状態でした。重度の障害を負ったということもあって、依存症の問題は一時的に表に出てきてはいませんでしたが、精神状態は相変わらずで、処方されている向精神薬もまだまだ手のひらいっぱいにありました。

 神様は不思議です。そんなどうしようもない私だったのに、ただイエス様を信じているという事だけで私を用いてくださいました。そして健一さんもクリスチャンになりました。

 健一さんは、私のひどい状態を一度も責めることはしませんでした。ただ、いつか絶対にその状態から抜け出せると信じていたと言ってくれます。

 

 健一さんと出会ってからも私は相変わらず向精神薬のまとめ飲みをしたりして、問題行動ばかりでした。私も訓練をして手動式の改造車の運転ができるようになりましたが、赤信号を突っ走っていくほど注意散漫でした。

 

 ほどなくして、私たちは少しの時間差でそれぞれ職業訓練校を卒業しました。健一さんは一足先に地元の茨城県に戻って就職しました。

 そして2006年、私は東京に出て就職しました。別々の場所で一人暮らしが始まりました。また、私が社会復帰したのを見届けるようにして、この時期父は病気で他界しました。病院のベッドでイエス様を信じ、天に召されていきました。

 私は都内のワンルームマンションで暮らし始めましたが、その会社の仕事は障害者雇用とは思えないほどキツいものでした。自宅に戻ると毎日夜の十時、十一時でした。職場での日々終わらぬ残業と、一人ぼっちの不安で押しつぶされそうになりました。

 

 そしてある日またしてもオーバードーズ。(薬を大量に飲んでしまう事)それを期に引きこもり生活になってしまいました。

 せっかく依存症の症状も影を潜めて、なんとかやっていけると思ったのに、またしても私は中途半端な人間で、何をやってもうまくいかないダメ人間だと思いました。

 

 今度は精神だけでなく、身体も悲鳴をあげ、度重なる腎盂腎炎に見舞われました。

 そして、決して母にだけは助けを求めないと思っていたのですが、このままマンションで孤独死するかもしれないという恐怖にかられて、とうとう母に電話をして助けを求めたのでした。

 

 母はしぶしぶやって来てくれましたが、大好きな母が来てくれたことがとても嬉しかったのです。なんとか元気も出てくると、今度は母に尽くしたい思いでいっぱいになりました。

 

 一緒にお芝居を見に行ったり、東京の有名どころをあちこち案内したのです。母が喜んでくれること、それは私にとって何よりも嬉しい事でした。母の役に立っていることこそが、私の生き甲斐でした。

 

 会社を辞めることになりました。母は当時再婚していました。再婚相手は、私に性的にひどいことをした男性でした。 

 それを知っていながらそんな男と結婚する母の気持ちが理解できませんでしたが、それが母でした。

 結局、母がお金を出してくれて茨城県に一軒家を買いました。久しぶりに母と娘で暮らすことになったのです。(母との生活は一年くらいで終わり、後に母は自分の家に戻りました。)

 

 最初、その新しい生活が嬉しくてたまりませんでした。ところが、少しずつ私は違和感を覚え始めました。そのキッカケになったのが、当時ベストセラーになっていた「境界線」という本でした。(ヘンリー・クラウド&ジョン・タウンゼント著)

 私は幼いころからずっと母の慰め役であり、母の援護者でありました。しかし、私が助けを求める時に母はいませんでした。

 

 私がもっとも辛い時に、母は男の人といました。私が車椅子になったと病院の公衆電話から知らせた時に、「ママがせっかく五体満足に産んでやったのに、あんたは何てことしたの!」と言って一方的に電話を切られました。

 二十二歳の時、母の付き合っていたヤクザの親分にレイプされて母に助けを求めたけれど、母はそのことを一切話題にしませんでした。

 

 リストカットが止まらなくなっても、手首の傷を見て見ぬふりをしました。痩せ細った私を見ないようにしました。

 

 いつも話の中心は、かわいそうな自分自身のことでした。傷だらけになってもなお、私は母を慰め、褒めたたえ、励ます役目でした。

 

 母は何で私を産んだのだろうとずっと思っていました。私など産まないでほしかったと心底思いました。産まれてこなかった赤ん坊を羨ましく思いました。

 私は父からも母からも、私のほしいものをもらうことなしに大人になり、愛に飢え渇いていました。悪魔はそんな私の心を知っていて、数々の偽りを吹き込んできたのです。

 気分がよくなるためにはお酒、痩せてきれいになるためには食べたものを吐く、それでもどうにもならなければ魔法の薬でテンションがあがるよ…

 その偽りを信じた結果、死に一直線でした。

 それから後、私はある牧師が語るメッセージと出会いました。それまで聞いたことのないメッセージでした。

 

 そもそも私は福音派の教会にしか行った事がないので、癒しとか預言とか異言とか、その類のものは一切聞いたことがありませんでした。クリスチャンが罪人ではなく義人だと語っていました。ですから本当に興味津々で聞き入りました。

 私はずっと、クリスチャンは罪人だと思っていました。子供の頃から教会で大人たちが祈るのを耳にしていました。

「主よ、この小さき者の祈りを…この罪人の祈りを…」

 またクリスチャンというのは、この地上では苦しい事ばかりで、天国に行ったらやっと報われるのだと思っていました。だから早く死にたかったのです。

 神学科で学んだことと言えば、聖書の歴史的な背景とかパウロの伝道旅行のルートだとか、教会音楽の歴史や語学などといったもので、日々の生活の中でどう信仰を使うのかといった類のものは教えられませんでした。

 

 神様についても、それがどのような神様なのかわかっていませんでした。私の考える神は、どこか宇宙の彼方にいて、私のことにあまり関心のない神のように思えました。

 アルコール依存で本当に苦しかったとき、私は祈りました。

「神様、どうか私を変えてください!アルコール依存から解放してください!」と。しかし、その祈りは決して聞かれることはありませんでした。

 ずっと後になって私はその理由を知りました。神が既になしてくださった事を「してください」と祈ること、それは決して聞かれようがないのです。  聖書にはこうあります。

 

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。ローマ6章6~7節

 

 なんと、私がキリストと共に十字架につけられたという事は、実質的には私も既に世に対して死んでいるという事であり、死んだ人間が何かの奴隷になるなんてあり得ないことなのです。それを私は、「主よ、お酒の問題から私を解放してください。」と祈っていたのです。

 それはイエス・キリストの十字架において既に解放されていたことだったのです。

 

 私は信仰告白をして洗礼を受けた十四歳のとき既に、依存症の問題の解決を得ていたという事を知りませんでした。それはいつか解決されるべき問題だと思っていました。

 

 また、ある人がこう言っています。もし人々が救われて、神に対しての正しい認識とキリストにあってどのような身分にあるかを知ったなら、刑務所と精神病院からほとんどの人がいなくなるだろうと。

 

 つまり、もし私たちが救われていながらも、クリスチャンとしてのアイデンティティーが崩壊したままなら、日々の生活において勝利を体験するなどということはあり得ない話なのです。

 人は自分の信じたとおりの行動しかしません。

 

 ですから自分が罪人だと信じつつなお、罪の奴隷から解放されて信仰生活において勝利を体験することはないのです。

 

 罪人であると信じているなら、罪人としての行動をするのです。

 

 しかし、キリストにあっては聖徒であり圧倒的勝利者だと信じる者は、清い生き方、圧倒的勝利者としての行動を選択し振る舞うようになるのです。

 

 話を少し元に戻しますが、メッセージを語っていた牧師が開いていた聖会に私と健一さんは出かけて行くようになりました。当時すでに私たちは結婚していました。

 そこである時、私が自分の母方の家系のことを語ったら、それは家系の呪いがあるかもしれないと言われたのです。そこで私は母方の家系について四代前くらいまでわかる限り調べました。それは聖書にこう書かれているからです。

あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし…出エジプト記20章4~5節

 

 調べて初めてわかったのは衝撃的な事実でした。自殺者がたくさんいました。アルコール依存症で若くして亡くなった女性もいました。その他、若死に、事故死がたくさんありました。

  

 私の他にも事故で重度の身体障害者になった人がいました。そして実は私が飛び降りて入院していた時期にも自殺してしまった人がいました。

 いったいどのような事が原因でそのような家系の呪いがかかったのか、実際にはわかりませんが、箴言26章2節に「いわれのないのろいは、やってこない。」と書かれています。必ず何かしら原因があるのです。

 

 これは聖霊様が教えてくださったと私は信じていますが、実は四代前の人間でこの家系は途絶えるはずでした。そこへ養子夫婦を迎えて無理やり家系を繋げたのでした。恐らくその時、この世の神に向かって願掛けがされたと思うのです。

 どうかこの家系が末永く続きますように、と。

 しかしその養子夫婦の夫となった人から既に自殺が始まっていました。

 私は家系図を持って、牧師に断ち切りの祈りをしてもらうことにしました。そして牧師は、母方の家系に対してかけられた呪いをイエスの御名と血潮によって断ち切ってくれました。本当にほっとしました。

 

 父が家に運び入れてしまった仏像に対しても、断ち切りの祈りをしました。これでもういろいろな事が自動的に好転するのだと思いました。

 

 しかしそれは少し勘違いでした。

 

 同時に、ニール・アンダーソン博士の「鎖を解き放つ主」という本を紹介してもらい、むさぼるように読み、キリストにある解放がどのようなものであるか詳しく知るようになっていきました。

 

 キリストが私たちの代わりに私たちの罪と呪いを十字架で負ってくださったことが、クリスチャンにとってどのような意味があるのかわかるようになっていきました。

 

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。  第二コリント5章21節

 

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。 ガラテヤ3章13節

 

 イエス様が私を罪と呪いから解放してくださったのです。私がすべきことは、神の御前に悔い改めるべきことを悔い改めて、開きっぱなしになっていた罪の扉を閉めること、偽りを捨てて聖書の真理に立ち続けることだったのです。

  

 悪魔は、私が偽りを信じている時にのみ、力を発揮することができました。しかしもう敵にそのようなチャンスを与え続ける必要はありませんでした。

 

 私がキリストにあって義人であり聖徒であり神に愛されている者だという真理を知り始めると同時に、私は破壊的な行動から遠ざかっていきました。そして落ち着きを取り戻していったのです。

 更には、神に愛されている者として神のために役に立ちたい、何かせずにはいられない!という思いに変えられていきました。

 この証の本を書いていることも、そのような心の変化の表れのひとつです。

 

 人は、信じている事柄が変われば行動が変わり、そしてついには人生が変わるのです。

 さて、先ほどから何度も使っている、アイデンティティーという言葉は、自分が自分をどのように認識しているかという意味です。

 自分がキリストにあって聖徒だと認識しているクリスチャンは、聖徒として行動することを選択しますが、自分を罪人として認識しているクリスチャンは、罪人が取る行動を自ずと選び、いつまでたってもなかなか成長することができません。

 結果、常に罪悪感の中でもがき苦しむ結果となってしまうのです。

 

 私は十四歳という人生の早い段階で救いを受けたにも関わらず、自分が罪人であると信じ続け、聖書がいうところの「義人」とか「聖徒」とはいったい誰のことだかわかりませんでした。

 福音派でも多くの教会で用いられている使徒信条には、「親しき聖徒の交わり…」という文言があるにも関わらず、私はずっとそこには自分が入っていないと思い込んでいたのです。

 

 本当は、クリスチャンは全員キリストにあって聖徒なのです。私もそのメンバーの一人だったのです。

 

 罪赦された罪人ではなく、罪赦されて聖徒とされたのです!

 このように、キリストにある正しいアイデンティティーを得ることがどれほど重要であるかと何度も確信させられた本こそが、まさにニール・アンダーソ博士の著書の数々でした。

 神様の側がしてくださることと、クリスチャンの側がすべきことがあります。神様の救いは一方的な恵みであり、私たちの努力は一切必要のないことです。

 

 しかし神様は、一方的に私たちの救われる以前の古いアイデンティティーまで変えてしまうことはされません。

 

 誰でも古い自分が握っていた偽りを捨て、みことばの真理に立ち続けて行かない限り、勝利の人生を歩むことができないのです。

 しかし勘違いしないでほしいのは、ここから肉の努力が始まるというものではないということです。肉の努力なら実際さんざんやって来ました。

 あの手この手で依存症から解放される治療とやらを試してきました。しかし、どれも効果はなかったのです。

 

 私に必要だったのは、神というお方が本当はどのようなお方であるかを知ることと、私という人間がキリストにあってどのように祝福された立場に置かれているのかということを知ることでした。

 

 それこそが、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8章32節ということなのです。

 

 私は父や母というフィルターを通して神様を考えていました。

 

 父は家族以外の人間にはめっぽう評判のよい人でした。しかし家の中では横暴な支配者でした。

 

 母は娘を守ることのできない弱い人でした。そして私の信じる神は、どこか遠くにいて私を冷たい目で見ており、困っていても助けてくれない神様でした。

 

 ところが、私はある日素晴らしいみことばに出会いました。

 

女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。 イザヤ49章15節

 

たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。 詩編27編10節

 神様って、本当はこんなに優しい神様だったのかと初めて知る思いでした。それまでだって、神が全人類を憐れみ愛しておられると理解していましたが、どうしてかその中に私は入っている気がしませんでした。

 

 また、よく耳にするこのみことばには嫌悪感すら感じていました。

 

あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの…イザヤ43章4節 

 

 誰かにこのみことばを語られたりすると、心がざわついて本当に嫌な気分になりました。私の父は決して私を高価で尊い存在とは扱ってくれなかったし、母も同様でした。

 

 だから、天の父なる神がこのように語られても素直に受け入れることができなかったのです。

 

 しかし、「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」とのみことばを知った時、なぜか素直に受け入れることができたのです。 

 きっと私の心の傷にスポッと入り込むものだったのだと思います。

 後になって、「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの…」というみことばも、当然のように受け入れることができるようになりました。

 もう愛されるために無駄な努力をする必要はありません。既に愛されているから前進するのです。 

 

 例え失敗したとしても、愛されていると知っている者は何度でも起き上がり、問題を乗り越えていかれるのです。

 

 これらのみことばによって、私は日ごと暗闇の束縛から解放されていきました。父を憎み、母を恨んでいた気持ちがなくなっていきました。

 なぜなら、人間の父や母が私を捨てたとしても天の父なる神は私を捨てないのだと悟ることができたから、だからこそ両親に対するわだかまりを手放し、赦すことができました。

 

 こんなに大きな神の愛を知ってしまいながら、不完全な肉の親に対する問題を手放さないわけにはいかないのです。それに両親とて不完全な親に育てられ、まして母は幼いころ母親に出て行かれた経験があったのでした。

 

 その他にも、私は聖書のあちこちに神の愛を見つけました。私個人に向けられた絶大な神の愛を知るにつれ、私はどんどん自由な気分になっていきました。また、私がキリストにあって素晴らしい権威を与えられていることも知りました。

 

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。ルカ10章19節

 

わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。ルカ22章29節

 

 他にも、私は神の子ども、神の神殿、神の協力者、義人、聖徒、王である祭司、世の光、地の塩、圧倒的な勝利者、キリストの友…など、たくさんのみことばがキリスト者の素晴らしい身分を語っています。

 私は、神に対しての聖書的で正しい認識と、キリスト者として与えられている立場や権威を知るにつれ、クリスチャンアイデンティティーがどんどん回復していきました。

 すると、お酒や食べ物に依存する理由は皆無になり、それなしでも全く平気でやっていけるようになったのです。

 

 世間では、一度依存症になったら、回復はあっても完治はないと言われているにも関わらず、私は真理を知って完治しました。

 

 これがキリストにある圧倒的な解放なのです。

 

 聖書は言っています。

 

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。ガラテヤ5章16節

 

 本当にその通りです。しかし多くのクリスチャンが自分の問題行動を、行いを正すことや意志の問題として取り扱おうとして失敗しているのです。

 それよりも本当に必要なのは、信じる内容を改め、御霊に満たされることだったのです!

 

 御霊に満たされる、というとなんだかふわふわと雲の上を歩くような気分になってしまうクリスチャンたちが大勢いますが、実際はそうではありません。

 

 聖書のみことばは神の霊であり油注がれているのです。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。  ヨハネ6章63節

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。Ⅱテモテ3章16節

 

 これは、みことばが神によって息吹かれたもの、すなわち油注がれているのだと言っているのです。そしてまた、みことばは真理です。

 

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。ヨハネ17章17節

 

 つまり、御霊によって導かれるということは、真理のみことばによって導かれるとも言えるのです。別の個所で聖書は私たちに、日々神のみことばを思いめぐらすようにと語っています。

 

このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。詩編第1編2~3節

 

 私は、以前のように自分が解放されるための肉の努力をしませんでした。しかし、唯一がんばったことがあるとしたら、それはみことばをたくさん自分のうちに蓄えるということだけでした。

  

 昼も夜もみことばを告白し続けるなら、やがて時が来て良い実がなる、そして栄えることができる…(栄えるとは、あらゆる物事に賢く対処することができるという意味でもあります。)

 もしそれが本当なら試さないでなんていられない、それが神の約束であるなら、やってみる価値はあるというものです。

 本当のところ、それまでは聖書を読むことも聖句を覚えることも好きではありませんでした。

 しかし、ひとたび聖書の中に私に対する神の愛を見出し、キリストにあって新しい被造物となった私がどのような人間であるのかを聖書の中で発見し始めてから、聖書は楽しいものとなりました。読むたびにわくわくするような発見がありました。

 家じゅうの壁やベッドの上の天井にまで聖句を印刷したものをたくさん貼って、いつでも目にし、何度も声に出して読んでいました。

 そうして気付いたなら、私は一切の依存症から見事に解放されてしまったのです。努力でなく、御霊の満たしによって手放せたのです。

 真理を知ることによって自由を得たのです。

 

 神の御霊に満たされながら同時に、罪の奴隷(アルコールや過食や薬物の奴隷)であることなんてできやしないのです。

 

 クリスチャンは救われた時、実はあらゆる問題の虜から解放されているのです。それが私のような何かの依存症や摂食障害でなくとも同じです。

 

 しかし、悪魔はそのことを私たちに知ってほしくありません。まるでまだ救われる以前のような考えでいてほしいのです。

 

 人が救われ解放されるステップを私はこう考えます。イエス・キリストを自分の救い主として受け入れるとき、次のみことばのことが起きます。

 

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 Ⅱコリント5章17節

 

 すべてが新しくされるとはどういう意味でしょうか?

 十四歳で救われて後も、私はずっとこのみことばの意味が理解できませんでした。どこも新しくなったようには感じられなかったからです。
 

 というもの、多くのクリスチャンがそうであるように、私もまた、自分の肉の感覚で理解しようとしていたからなのです。そして、多くのクリスチャンが悪魔に翻弄され、いつまでたっても安定することのない信仰生活を送ってしまうのです。


 その原因は、人々がキリストにおける自分の本当の姿を知らないからです。

第一コリント5章17節にあるとおり、神の子供たちは過去の産物などではなく、キリストにあって全く新しくされた者たちなのです。


 神が私たちを見て下さるとおりに自分自身を見定めること、それが私たちの側のすべきことです。

 

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12章2節

 

 そうなのです。古い肉の性質から日々新しい心に作り変えられるためには、真理のみことばに目を留め、真理のみことばを信じ、真理のみことばで一新されなければならないのです。

 偽りを手放し真理の光のうちを歩むことこそが唯一、私たちにキリストにある自由と解放をもたらしてくれるのです。

 それと同時に重要なのは、救いを受ける前でも後でも、もし偶像崇拝やオカルトとの関係があったなら、まず先にそれらを断ち切らなければなりません。

 ほとんどの人が、クリスチャンになる以前に何かあると思います。他の宗教に入っていたり、占いにハマったりしていたことに対して何もしないままではいけません。

 

 クリスチャンになったのに何かがおかしくなってしまう原因の多くはこのようなことなのです。幼いころにコックリさんを何度もやっていたとか、タロットカード占いをよくやっていたとか、実は神の忌み嫌われるべきものがこの国には溢れ返っているのです。

 それが害にならないならよいのですが実際それらの行いは悪霊と関係することとなるのです。

 

 悪霊は罪という扉を通してやってきます。

 

 さて、2015年より私たち夫婦は、「みことばかえる塾」というホームページを立ち上げました。

 

 かつての私と同じように苦しんでいる方たちのために何か役に立てることはないだろうかとの思いから始まりました。それはまた、真理のみことばに出会ってから七年間の私の集大成でもありました。もちろん今も成長の途中にある者です。

 私が本当に解放されたのは、真理を知ったからであり、またここには書ききれませんでしたが、夫の愛があったからです。

 健一さんは、まだ私が最悪の状態の時に出会いましたが、彼はずっと今の私になることを信じ続けてくれたのです。最悪の時に最良のことを信じてくれたのです。どんなときにも批判せず、いつもそばにいてくれました。                

 

 そして今、私たちは本当にキリストにある自由を楽しんでいます。もう何かの奴隷になる必要はありません。

 

 私にとって、お酒も薬物も、これは書いていませんでしたがタバコも、今の人生に全く必要がありません。

 

 シラフな頭でみことばを思いめぐらすことの幸せを選びます。シラフな心で神を賛美し感謝することを選びます。

 そして夫と主の素晴らしさを時を忘れて語り合う喜びを選び、みことばに酔いしれています。

 また、食べることは神が人類に与えてくださった喜びです。その喜びを私は二度と悪魔に奪われたりはしません。毎日夫と共に食事をするとき、なんて幸せなのだろうと感じます。

 カロリーやダイエットなど気にしなくても、みことばで一新され御霊に満たされているならば、自制心という実をも結ばせて頂けるのですから、暴飲暴食をしないでいられるのです。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 ガラテヤ5章22~23

 

 実際、今の私は体重を量る事もカロリーを計算する事も一切していませんが、バランスよく適度な量を食べる事を楽しみつつ心がけています。

 

 お腹がいっぱいになったらもう食べません。台所にはいつも食材が豊かにあふれていますが、心が満ち足りている時に過食は必要ありません。

 向精神薬が必要だったなんて、今では嘘のようです。なぜなら、みことばこそが私の精神安定剤であるからです。いえ、それ以上です。 

 神のことば以上に価値のあるものなどこの世にありません。なぜなら、みことばはイエス様ご自身だからです。

 そしてイエス・キリストこそが私をすべての依存症から完全に解放してくださったばかりでなく、神の子供としての人生を取り戻してくださったお方なのです。私は心から主を褒めたたえます!

 最後に、この証がひとりでも多くの方のお役に立ちますことを心から望んでいます。

 今、問題の中にあって先が見えないと苦しんでいる方がおられるなら、どうか諦めずにキリストにある脱出の道を求めてください。

 イエス・キリストは全ての人の主です。私に起きた奇跡はみなさんにも起こりうることなのです。

 

主に栄光あれ!

2017年4月イースター 茨城県の自宅にて

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※聖書が言う「聖徒」とは聖人君主のような意味合いではなく、キリストにあって聖別され選びわけられた神の民という意味です。

※解放についての更なる理解を深めるためにぜひ、束縛と呪いからの解放正しい救いのプロセスのページをご覧ください。

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冊子「キリストにある依存症からの解放」もぜひご利用ください!
内容は上記文章と同じですが更に読みやすい装丁になっております。
家系の呪いや父が置いた偶像からの影響、そしてこの世の価値観や古い自分の性質からくる様々な偽り・・・どのようにしてそこから私が逃れることができたかを綴っています。

※この冊子はるちゃんが一冊ずつ心を込めて作っています!

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