髙橋健一 髙橋和美
(るちゃお)(るちゃん)
捕らわれ人には解放を!
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聖書朗読と通読の素晴らしさ!
みなさんは普段、どのように聖書をお読みですか?
今回は、私が聖書と聖霊の助けによって導かれた素晴らしい聖書の読み方をお分かちしたいと思います。
私はある時、聖書の次のみことばにハッとさせられました。
私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。Ⅰテモテ4:13
私と夫は既に日々のデボーションで聖書を声に出して読む習慣があり大変恵まれていましたが、改めて、聖書朗読の重要性を認識させれらたのです。
このみことばは、パウロが愛する弟子テモテへ送った手紙に書かれました。つまり初代教会において聖書というのは声に出して読むことが通常だったのです。
集まった信徒たちが聖書を朗読し、そこから互いに勧め教えを受けていたと思われます。この方法は現代のクリスチャンにとっても必要不可欠なことではないでしょうか?
また、特に旧約聖書のネヘミヤ書を見ると、聖書の朗読がいかに重要だったかがわかります。(ネヘミヤ8:3、8,18、9:3、13:1)イスラエルの民にとっては、聖書とはもともと朗読される書物だったのです。
その他、イエス様もシナゴーグ(会堂)に入られると聖書を朗読されたと記述されています。
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。(ルカ4:6)
使徒パウロも同様、福音を伝えるためにシナゴーグに入ったときの記述にはこうあります。
律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」(使徒13:15)
また、黙示録にも、この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。(黙示録1:3)とあるように、朗読の幸いが記されています。
しかし、他に大勢聞く人たちがいるから朗読していたのでは?と思われる方もおられるでしょう。ところが、使徒行伝には、一人で声に出して聖書を読んでいた人物のことが記されています。
彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。(使徒8:28~30)
これはエチオピヤ女王の高官のお話ですが、今風に言えば、走る自動車の中で聖書を声に出して読んでいたということになりますね。現代の私たちなら、黙読で済ませてしまうのではないでしょうか。
さて、私がクリスチャンになりたての頃はデボーションといえば、教団お勧めのデボーション用テキストがありましたが、聖霊のバプテスマと霊的解放を得て以来、どうもそれでは物足りなくなってしまいました。
我が家では夫婦で聖書を読みますが、一節ずつ交互に、それも本当にゆっくりと読みます。理解できないまま読み飛ばすことのないように、じっくりと考えながら読みます。
旧約聖書から一章、箴言を一章、新約聖書から一章という具合に。(もちろん人それぞれです)
お互いに気づかされた点を語りあいながら時を過ごすと、2~3時間があっという間に過ぎてしまうことは日常茶飯事です。
また、聖書を読む前にはエペソの手紙からのみことばを祈りの告白としています。
何年にもわたり、私たちは聖書を声に出して朗読する前に、この箇所を祈りとして告白してきました。
自分の思いで聖書を読むのではなく、どうか助け主なる聖霊様が私たちに奥義を教えて下さいますように、と願いながら。…すると信じられないことが起こりました!
チャールズ・フィニーの言葉を借りるなら、『以前には認識さえしていなかった多くの真理に対する啓示が与えられるという、インスピレーションの賜物。』と表現されるようなことが私たちに起こり始めたのです!(チャールズ・フィニー著:「霊的力」より)
以来、聖書を声に出して通読していくことが、私たち夫婦の何よりの楽しみとなりました。
それはちょうど、子供たちが紙芝居の続きが知りたくてしかたがないような、そんなワクワクした状態なのです。
「ねぇ早く聖書を読もうよ!昨日の続きを聖霊様に教えてもらおうよ!」と語ることが当たり前のこととなりました。
ハーレイの聖書ハンドブック
私が聖書を読むとき、いつも手元に置いているのが聖書ハンドブックです。考古学からの導き、それぞれの書簡の歴史的時代背景など、聖書だけからでは知ることのできない見識を私たちに伝えてくれます。
この素晴らしい聖書ハンドブックを執筆したヘンリー・H・ハーレイ博士をご紹介しましょう。
ハーレイ博士は、文筆家であると共に、牧師であり聖書教師です。彼は1874年4月10日ケンタッキーのブルー・グラス地区に生まれ、クリスチャン・ホームに育ちました。
1898年には教職に任じられ、ミシガンで10年間牧会されたそうです。その間に、聖書の中で特に好きな箇所を暗記する趣味を身に着けました。
この習慣によって、彼はついに聖書の各書を、関連的に省略した形で、また本文そのままの形で暗唱することができるまでになったのです。
ハーレイ博士の生涯において、彼の全精力は聖書暗唱会に費やされました。そして、この会のはじめには必ず聖書の歴史的背景についての結論的な解説が行われました。
この珍しい働きのゆえに、彼は各地に引っ張りだことなったそうです。バイブル・リサイタルと呼ばれるこの聖書暗唱会は、後に有名な「ハーレイの聖書ハンドブック」となり世に知られるところとなりました。
この偉大な信仰の先輩から改めて、みことばを覚えることの素晴らしさとその実を知るところです。
まさに詩編第一篇にあるように、主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなりその葉は枯れない。というみことば通りの人生を歩んだ人物ではありませんか!
そしてハーレイ博士の言葉によれば、どんなに素晴らしい人物のメッセージを聞いたとしても、それは人間の管を通して薄められ、人間の考えと伝説で拡大された中古の真理を受けているにすぎない、と言います。
言い換えれば、人伝えのものは結局のところ「二番煎じ」なのです。聖書それ自体が直接私たちに啓示を与え奥義を悟らせるのだということを私たちはすっかり忘れてしまっているのです。
あなたが聖書を読み進めるとき、聖霊様が直接あなたに語りかけられること以上に素晴らしいことはないのです。
聖書を読もう。
○聖霊の導きを求めて読みましょう。
○あわてて読んではいけません。噛みしめ深く考えながら読みましょう。
○声に出して読める環境であるなら、朗読がもっとも有益です。目と口と耳を使うことにより、朗読は3倍の祝福があるとも言えましょう!また、みことばは霊の食物ですから、口を使って食べましょう。
○自分の聖書の重要だと思う聖句には線を引いたり、書き込みをしましょう。後で役に立ちます。
○聖書66巻の書名を全部覚えておきましょう。
○好きなみことば、重要なみことばは何度も繰り返して声に出し、覚えましょう。
○通読しましょう。聖書はストーリーになっています。虫食いだらけの読み方では重要な点を見落とし、また私的解釈に陥る危険があるからです。
○旧約聖書を読むときには、新約聖書の光に照らして読みましょう。今は新しい契約の時代だからです。
○聖書の朗読通読を日々の習慣にしましょう。
さぁ、みなさんもチャレンジしましょう!