るちゃんです。
今朝、キッチンでワーシップソング♪をかけながらノリノリで料理を作っておりました。
自分でも歌っちゃいながら、あぁ楽しいー、包丁トントン鍋まぜまぜ。。。
連続して何曲も歌ったもんだから喉が渇いてふと、テーブルに置いたままだった水の入ったコップを手に取る・・・
ゴクゴク。
ハッと思い出す遠い過去・・・!!
あぁ昔はお酒を飲まないと料理できなかったっけ。
それは両親が離婚して母が出て行った後の事だった。
家事全般、母から託されたと思った私はすごく張り切っていた。
張り切ってはいたけれどその反面、愛する母がいなくなってとても虚しく、離婚の原因も当時は一方的に父が悪いからだと信じていたものだから、父は私にとって宿敵ともいえる存在なわけでした。
そんな憎き父のために何で私が料理を作らなあかんのやぁ===(怒)
だけど私の目指すところは究極の良い子ちゃんなのだから、父のために料理を作らない、という選択などあるわけがなかった。
すると、この大いなるジレンマの溝を埋めるナニカが必要になってくる。
それがお酒だった。
小学生の頃テレビで「世界の料理ショー」というのがやっていて、週に一度それを見るのが楽しかった。
グラハム・カーさんがグラスに入ったワインを時々ひっかけながら手際よく料理を作っていき、ちょいちょい架空のスティーブなる人物も登場する。
それまでの日本の料理番組の常識を覆す画期的なものだった。
子供心にもすごく面白かった。
出来上がった料理は、観覧席の選ばれしお客様とグラハムさんが頂くのだが、あの瞬間から日本語吹き替えが終了して英語になり、突然自分が蚊帳の外に放り出されたかのような寂しい気持ちになったりなんかして・・・
それはそうと、二十歳を過ぎた私はそんな番組があったことなどを思い出し、「そうだ!お酒を飲みながら料理したら楽しいのではなかろうか?」と思いついてしまったのです。
かくして私は、キッチンの流しの下に焼酎の一升瓶を隠し、それをチビチビ飲みながら包丁を手にすることとなりました。(危)
キッチンドリンカーというのはどうも主婦に対して使われるのがほとんどのようですが、私の場合、21歳にして未婚のキッチンドリンカーとなりました。
ついでに申しますと、当時私は日本酒と焼酎の区別もつかず、近所の酒屋さんで日本酒だと思って買ってきたのが焼酎でした。
さーて、私の「世界の料理ショーもどき」が始まったのですが、はいはい予想した通り楽しいったらありゃしない!
嫌なことなんか忘れて、「私は創作料理人よ!」なんて笑いながら酔いにまかせて摩訶不思議な料理をいっぱい作ったのでございました。
ところが!
当然のことながらそれは非常に危険な行為でして、キュウリを切っているのが自分の指を切っているのかもわからない状況になっていきました。
今でも左の手のひらを見ると、当時の傷が残っていますことよ。
えーとこれは、確かマンゴーをいい感じ(画像参照)にカットしようと思って、手のひらに乗せたマンゴーではなく、直接自分の手をズバッと切ってしまったときのやつだわねぇ・・・(怖)
ギャァァ~~!
あの頃、私は自分が役に立つ存在であることによって認められたいという欲求がものすごく強かったです。(この偽りについては、ウソホント早わかり表が役に立ちますよ。こちらのページの一番下。)
大嫌いな父であるくせに、「お前は役に立つ娘だ。良い子だ。」と思われたかったのです。
自己評価なんぞ地に落ちていた私にとって、自分の良い行動によってでしか存在意義を感じ取れないでいました。
キリストにあって神の子供になった、などという一番素晴らしいことは他のクリスチャンにしか当てはまらないように感じていました。
さて、最初の頃は、私の「世界の料理ショー」もうまくいっていましたが、あっという間にアルコール量は増えていき、生活自体が滅茶苦茶になっていきました。
だいたい、自分は摂食障害も発症していたのですから、どんなに料理をしたところで、吐かずに食べることなどできず、父のためにおいしい料理を、と頑張るほどに虚しさが増大していきました。
飢え死にしそうなほど腹が空いている私の前で、父がおいしそうに私の作った料理を食べているのをヨダレを垂らしながら見ているだけ・・・
嬉しいのと腹立たしいのと究極の飢えが私に襲いかかるのでした。
そんな過去の自分をふと思い出しながら、今朝キッチンで料理を作っていたので、そんなこの世の地獄から助け出してくださったイエス様に感謝せずにはいらせません。
で、たまにはブログを書こうなんて思ったのです。
このサイト内に、どのようにして私がアルコール依存症から解放されたのか証しさせて頂いていますので、ご興味ある方はぜひ読んで頂きたい。ココ
実は、まじめなクリスチャンで、まじめに教会に通っているけれどアルコール依存症を抱えている兄弟姉妹がたくさんいることを知っています。
イエス・キリストはそんな問題からも解放してくださるために十字架にかかってくださったことを知ってほしい。
最近私の心にせまってくるみことばはこれです。
ベッドの上の天井に貼ってあるので、朝目を覚ますと目に入るようになっています。
でもこれ、私が中学生の頃、ある年の元旦礼拝で個人的に与えられたみことばでもあります。
アルコール依存症やそのほか様々な依存症問題で苦しんでおられる方にとって、私が今キリストにあって与えられている完全な解放と喜びの人生が、多くの方の希望となりますように、このサイトや証しが用いられますようにと願ってやみません。
God bless you!
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