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執筆者の写真るちゃん

心燃やされる体験Ⅰ

るちゃんです。。。


かつて私は、自分の信仰が燃やされるためには、有名人のクリスチャンに祈ってもらったり、そのためには大きな聖会に参加したりする必要があると思っていました。


日本中から集まったであろう多くの兄弟姉妹たち、ともに歌う賛美、素晴らしいメッセージ・・・


あぁ、まるで天国の前味わいのようではないか!


それなのにどうでしょう!


家に帰って三日もすれば、私は元の憂鬱な人に戻っているではありませんか。


どうしてなのだろう、どうして自分は本当に変えらえるという体験ができないのだろう・・・


そう思っていました。


もしこれを読んでくださっている方の中にも、かつての私と同じように感じているクリスチャンがおられるなら、ぜひこの続きを読んで頂きたいのです。


さて、聖書には有名なエマオ途上のお話があります。(ルカ24章)


二人の弟子がそうとは知らずに、エマオという村へ向かう途中、よみがえられたイエス様に出会いました。


弟子たちは、都で起きた十字架のことや女の弟子たちが復活の主にお会いしたという話を旅の道ずれになった男性に語りました。


とは言っても、彼らがイエスの復活を心から信じていた、というのではありません。


彼らは弟子でありながら、十字架刑によってイエスが死んでしまったことに心穏やかではなかったのです。


彼らの信仰は風前の灯でした。


するとイエス様が彼らに語り出されました。


十字架の苦しみも、その後の栄光も、聖書(当時は旧約聖書のこと)全体を通してご自分について書き記されているのだということを彼らに解き明かされたのです。


後に、彼らはこう言いました。


弟子たちは、イエスの語られるのを聞いたとき、恐れや惑いが消え去り、心は燃えたのです!


ここに私たちにも適用できる大きなヒントがあるのです。


そうです、みことばに聞き、それを本当に悟るとき、私たちの心も燃やされるのです。


なぜなら、聖書はこう言っているからです。


信仰は聞いてやってきます。


私とるちゃ夫は、今から3年ほど前、同時に心燃やされる体験をしました。


るちゃ夫が障害者雇用で務めていた職場を去らなければならない事態になりました。


半身マヒや高次脳機能障害のハンデがありながらも頑張って務めてきましたが、それも限界に達してしまいました。


普段決して弱音を吐かないるちゃ夫が、もう疲れたから仕事をやめてもいいかな?と私に言ったのです。


もちろん、誰よりも近くでるちゃ夫を見ていた私ですから、やめてもいいよと伝えました。


ところが、そうは言っても二人とも内心とても不安でした。


るちゃ夫が仕事をやめたら二人とも決して十分とは言い難い障害者年金だけで暮らしていかなければならず、それはものすごく不可能に思えたからです。


その時ちょうど、私たちの手元に作ったばかりの【100のみことばカード】がありました。


それは売り物として作ったわけではなく、ただ作りたくて作ったものでした。


「ねぇ、これを全部声に出して読んでみようよ。」


私は一枚ずつ、ゆっくりと声に出してみことばを読み始めました。


100枚読むのに20分くらいしかかかりませんが、その20分がまさに、エマオ途上の弟子たちと同じだったのです!


先程までの不安はどこへやら・・・


夫婦そろって内側から何かがメラメラと燃えるような気持ちになりました。


そして、神がついておられるのだから私たちは絶対に大丈夫、生活していかれるに決まってる!とゆるぎない信仰が芽生えたのでした。


状況は変わっていないのに私たちはもう内心ルンルン気分でした。


それから、「あ!このカードを販売してみたらどうだろう?」という話になったのです。


それがあの100枚のカードにまつわるエピソードなのです。


あの時もし心燃やされなかったら、《みことばかえる塾》は始まっていなかったでしょう。


そして、私たちは本当に不思議なくらい神様に助けられながら今日も必要を満たされつつ生活できています。


どうか聞いたみことばにあなたの信仰を混ぜて下さい。





聖書のみことばに、あなたの信仰を結びつけてください。


みことばの種にあなたの信仰を注げば、それが実現に至るのです!


私はもう、飛行機に乗ってどこかの聖会に行ったりしなくても、家にいながらにして心燃やされ続ける方法を知ったのです。


主を褒めたたえます!



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