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恐るべし幼児犠牲の宗教

るちゃんです。。。ღ˘◡˘ற♡.。oO



昨日また、考古学者がペルーで大規模な幼児犠牲の遺骨を発見したとのニュースを読みました。


ちょっと前にも同じようなニュースがあったと思います。


さて、旧約聖書を読むとき、多くの人が理不尽に思えること、それが「聖絶」ではないでしょうか?


このことのゆえに、ノンクリスチャンはキリスト教の神はもっとも多くの人を殺した!と非難し、クリスチャンでさえ内心「???」だったりするわけです。


何も殺さなくても・・・と。


実際私も、過去にはそう思っていた時期がありました。


しかしそれもハーレイの聖書ハンドブックの説明を見るまでですが。


例えば、カナン人の宗教であったのがバアル信仰であり、バアルの妻アシュタロテが女神です。


現代の私たちがよく耳にするアフロディーテ、ヴィーナス、これらもアシュタロテと同一です。


さて、イスラエルの民がカナンにやってきたとき、神様の明確なご命令は、カナン人を滅ぼすか追い出すことでした。(申命記7:2~3)


1904年ー1909年にパレスチナ探検基金によってマカリスターの行った発掘において、前1500年ころの、イスラエル占領前の、カナン人の文化層の中から廃墟が発見されました。


それは石垣で囲まれた、野天の、45メートルと36メートルの囲みで、住民たちはそこで宗教的饗宴を行っていました。


石垣の内側には、1.5メートルから3メートルの高さの10個の粗末な石柱があって、その前で犠牲がささげられました。


この「高き所」の中の堆積物の下から、マカリスターはバアルの犠牲に供せられた子供の遺骸の入った壺を多く発見したのでした。


そしてこの地域全体は生後間もない子供の墓地であることがわかりました。


その他、定礎犠牲(人柱)と呼ばれる恐るべき習慣もありました。


家を建てる時、残りの家族に幸運をもたらすため、幼児を犠牲にして身体を壁の中に塗り込めたのです。


またマカリスターはおびただしい数のアシュタロテの像としるしを発見しました。


それには性感の誘惑を企画したかのような極めて誇張された性器がつけられていました。


カナン人は宗教儀式に代えて不道徳にふけり、これを彼らの神々に対する礼拝としていたのです。


そして彼らの神々に対する犠牲として、彼らの最初の子供は殺されたのです。





ハーレイは、カナンの地の大部分が、国家的な規模でソドムとゴモラのようになっていた感を与える、と言っています。


また、東洋研究所というところは、サマリヤに近いメギドの発掘で、アハブ時代の文化層から、バアルの配偶神アシュタロテの神殿を発見しました。


そしてこの神殿からほんの数歩のところに墓場があり、そこから神殿で犠牲にされた幼児たちの遺体を入れた壺が多数発見されたのです。


バアル礼拝がいかに残虐だったかがわかるでしょう。



エリヤがバアルの預言者たちを処刑しましたが、バアルとアシュタロテの預言者たちは幼児らの公の殺人者だったことを思えば当然ではありませんか。


ハーレイは述べています。


われわれはそれでもなお、神がイスラエルにカナンを滅ぼさせたことについて思い惑うのであろうか。

この上なく忌まわしい汚れと獣的行為に満ちた文明が、これ以上存在する権利を持つといえようか、と。


カナン人の諸都市の発掘に携わった考古学者たちは、「神はなぜもっと早くに彼らを滅ぼさなかったのか」と驚いているという。


以上、ハーレイの聖書ハンドブックよりー



さて、私はこの記事を知って以来、ものの見方が見事に変わりました。


今回もまた残酷極まりない幼児犠牲の証拠が出たペルー、つまり過去のインカ帝国ですが、かつては繁栄したであろうになぜ滅んでしまったのか?


歴史的には16世紀にスペイン人によって滅ぼされたと言いますが、霊的な意味においては神の哀れみを伴う審判ではなかったかと思います。


この天地宇宙を造り、人間を造られたまことの神様がおられるなら、どうして赤ん坊を奉げるような偶像崇拝を見過ごすことができるでしょうか?


大規模な幼児犠牲が続いてよいはずがありません。



また私はこんな話も思い出します。


奥山実牧師の「悪霊を追い出せ」という著書に書いてあった記事のはずですが、この本が行方不明なので覚えている範囲で書きます。


奥山先生ともう一人の日本人牧師さんだったと思いますが、中国の奥地に行ったときの話です。


かなり裕福なクリスチャンの家に泊めてもらったそうです。


ところが、霊的に何かがおかしいと感じたみたいです。


寝ている時に何か気味の悪い現象があったようです。


またこの家の長男の子供は生まれつきの病気を持っていたと言います。


さて、クリスチャンホームとなった一家であるのに、何かがおかしいと思った奥山先生は、その家の主人を問いただしたそうです。


すると、その地域一帯では昔から当たり前となっているある宗教との絆が見えてきました。


どういうものかというと、そこの神様に繁栄を祈るとき、長男を奉げますと約束するのだそうです。





確かに家は商売繁盛、お金持ちになれるのです。


しかしその地域一帯では、多くの家の長男が生まれつきの精神障害児であったり体の障害を負っていたりするのだそうです。


サタンは、昔も今も同じやり方であるとわかります。


繁栄、快楽、そういったものを与える代わりに、とんでもないものを要求するのです。


本当なら、生まれたばかりの我が子ほど愛おしいものはないはずです。


自分の子供ほど大切な存在はないはずです。


聖書には、サタンの性質がはっきり書かれています。


悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 (ヨハネ8:44)



そう、悪魔は常に人殺しなのです!


まことの神でない偶像の神々を礼拝する者は、実は知らずのうちにこの人殺しを拝んでいると同じなのです。


悪魔が光の天使のふりをして、あなたの願いを叶えると甘い誘惑を語りかけても、このものは必ずとんでもない犠牲を要求するのです。






どうかみさなん、イエス・キリストの神であるまことの造り主だけを礼拝しましょう。





God bless you!













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