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旧約・新約聖書に見る解放のステップ

るちゃんです。


みことばかえる塾が始まって以来、多くの方が「鎖を解き放つ主」を始めニール・アンダーソン博士の著書を読み、その付属テキストである「キリストにある解放へのステップ」に取り組まれていることを大変うれしく思っています。






さて、私自身もアンダーソン博士の本を読んだり、または昨日の記事でご紹介したプリンス博士の本を読んだりして、それまで教会では教えられてこなかった分野に目が開かれて驚きました。






そこで、私以外の方も思うのではないかと想像するのですが、神の忌み嫌われる物や偶像を持っていたら処分するとか、断ち切りとか、そういうのって聖書のどこに書いてあるの?





という疑問を持ったのです。


今考えるとほんとに無知だったのですが、以来聖書を読むときは目を皿のようにして、どこに解放のステップが隠れているかと注意してきました。キョロキョロ!!


えぇ、ありましたとも!


いっぱいありましたとも!


なので今回はその聖書箇所をいくつかご紹介したいと思います。



サムエル記7:3~14

その時サムエルはイスラエルの全家に告げていった、「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう」。


そこでイスラエルの人々はバアルとアシタロテを捨て去り、ただ主にのみ仕えた。


7:5サムエルはまた言った、「イスラエルびとを、ことごとくミヅパに集めなさい。わたしはあなたがたのために主に祈りましょう」。 7:6人々はミヅパに集まり、水をくんでそれを主の前に注ぎ、その日、断食してその所で言った、


「われわれは主に対して罪を犯した」。サムエルはミヅパでイスラエルの人々をさばいた。 7:7イスラエルの人々のミヅパに集まったことがペリシテびとに聞えたので、ペリシテびとの君たちは、イスラエルに攻め上ってきた。イスラエルの人々はそれを聞いて、ペリシテびとを恐れた。 7:8そしてイスラエルの人々はサムエルに言った、「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください。そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」。


そこでサムエルは乳を飲む小羊一頭をとり、これを全き燔祭として主にささげた。そしてサムエルはイスラエルのために主に叫んだので、主はこれに答えられた。 7:10サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。 7:11イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。

7:12その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。 7:13こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。


ペリシテびとがイスラエルから取った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルにかえり、イスラエルはその周囲の地をもペリシテびとの手から取りかえした。またイスラエルとアモリびととの間には平和があった。


この箇所で、


①まずは異教の神々の偶像を取り除くこと。


②罪の告白をして悔い改めをすること。


③全焼のいけにえをささげること(新約時代は自分自身を生きた供え物とする。ロマ12:1)


④その結果、奪われた町は戻り、領土は解放され、敵との関係においてでさえ平和があった、とあります。



多くの教会で、洗礼を受けてクリスチャンになろうというとき、悔い改めとは単に今までと向きを変えるだけでよい、という片手落ちの説明がされてきたのではないかと思う。


かつて、ある姉妹のカウンセリングをしたことがありますが、彼女はクリスチャンになる前に占い師であったという。


ひどい鬱状態で精神科医に通っており、日々の生活もままならないほどの状態だったのだ。


彼女の救われた教会は有名な教団の立派な教会でしたが、私が「その教会ではあなたが占い師だったことの悔い改めと断ち切りについてやってもらいましたか?」と尋ねたら、占い師だったことは伝えたけれど特にそういうことは何もしなかったと言っていました。


だからいくら精神科に通ったところで一般的なカウンセリングでは取り扱えないし、抗うつ剤を飲んでも改善するはずがない。


もちろん、即座に占い師をしていたことの罪を主の前に告白し、占いの霊との縁をイエスの御名と血潮により断ち切りました。


以来、彼女はぐんぐん元気になっていき、その後神学校に入学し頑張っているようです。


さて、続いても旧約聖書に見る解放のステップです。



Ⅱ歴代誌23:16~21

エホヤダは自分とすべての民と王との間に、彼らは皆、主の民となるとの契約を結んだ。


そこですべての民はバアルの家に行って、それをこわし、その祭壇とその像とを打ち砕き、バアルの祭司マッタンを祭壇の前で殺した。 23:18エホヤダはまた主の宮の守衛を、


③祭司とレビびとの指揮のもとに置いた。このレビびとは昔ダビデがモーセの律法にしるされているように、喜びと歌とをもって主に燔祭をささげるために、主の宮に配置したものであって、今そのダビデの例にならったものである。


④彼はまた主の宮のもろもろの門に門衛を置き、汚れた者は何によって汚れた者でも、はいらせないようにした23:20こうしてエホヤダは百人の長たち、貴族たち、民のつかさたちおよび国のすべての民を率いて、主の宮から王を連れ下り、上の門から王の家に進み、王を国の位につかせた。


⑤国の民は皆喜んだ。町はアタリヤがつるぎで殺された後、穏やかであった。



①まずは父なる神との関係が正されることが第一条件。つまり解放のミニストリーは未信者さんの場合には福音を伝えることが先決。


②すべての偶像を捨て去ること。


③自分を主に奉げること。


④二度と神の忌み嫌われるものを内側に入れないこと。


⑤喜びと平和がやってくる!




ネヘミヤ書9:1~5

9:1その月の二十四日にイスラエルの人々は集まって断食し、荒布をまとい、土をかぶった。


そしてイスラエルの子孫は、すべての異邦人を離れ、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした9:3彼らはその所に立って、その日の四分の一をもってその神、


②主の律法の書を読み、他の四分の一をもってざんげをなし、その神、主を拝した9:4その時エシュア、バニ、カデミエル、シバニヤ、ブンニ、セレビヤ、バニ、ケナニらはレビびとの台の上に立ち、大声をあげて、その神、主に呼ばわった。 9:5それからまたエシュア、カデミエル、バニ、ハシャブニヤ、セレビヤ、ホデヤ、セバニヤ、ペタヒヤなどのレビびとは言った、


③「立ちあがって永遠から永遠にいますあなたがたの神、主をほめなさい。あなたの尊いみ名はほむべきかな。これはすべての祝福とさんびを越えるものです」。



①自分の罪と先祖の罪を悔い改める。(つまり家系を通しても呪いを受けてしまうから)


②みことばの真理に立ち返ってまことの神だけを礼拝する。


③賛美と喜びがある!




詩編32:3~5

32:3わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。 32:4あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。〔セラ

32:5わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。 わたしは言った、

「わたしのとがを主に告白しよう」と。 その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ




ダビデはウリヤを死に至らしめ、その妻バテシバと姦淫の罪を犯しましたが、罪の告白がされるまでは決して律法の呪いから解放されることがなかったのです。


なので、罪の告白なしにクリスチャンになるということは、車でいうならブレーキを踏みながらアクセルをふかすようなもので、いつかエンジンが壊れてしまいます。


さて、ここまでが旧約聖書の中から取り出してみたいくつかの解放のステップに関する箇所なのですが、この順番はとても大切だと思うのです。


このようなステップをすっ飛ばしたまま、いくら賛美だ礼拝だ、と頑張ってもどうも成長しないのは当然なのですね。


私が、本当に賛美が好きで家でもどこでもすぐに歌ってしまう!という状態になったのは、偽りを手放し呪いのもとから解放されて後のことです。


それ以前も賛美は好きでしたが、質が違うのです。


私もるちゃ夫も、いつでも賛美が口をついて出てくるのです。


さて、いよいよ新約聖書からの基本的な解放のステップを見ていきましょう。



使徒行伝19:18~20

19:18また

信者になった者が大ぜいきて、自分の行為を打ちあけて告白した19:19それから、


魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。


このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。




①救われた人々が、罪の告白大会!本気の悔い改め!


②オカルトグッズを燃やした~!


③大リバイバル°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°



こういうことなのです。



さぁ!私たちも家の中も心の中もクリーニングしたら、今度はみことばをたくさん蓄えましょう。


みことばかえる塾では、アンダーソン博士の聖書的アドバイスに従っているのですが、いわゆる悪霊追い出し=力の遭遇戦という、悪霊に名前を聞きだして出て行け~という手法ではなく、ご本人がみことばの真理に立つことによってキリストにある自由を得る、という方法をおススメしています。





多くの人が勘違いしていることですが、その人の解放は、その人自身の応答にかかっているのです。


あなたの信仰があなたを直したのです。(マルコ5:34)


あなたの信じたとおりになるように。(マタイ8:13)



誰かがあなたの代わりにトイレに行くことができないように(!)、あなたの解放もまたあなた自身にかかっているのです。




具体的にどうしたらよいかわからない方は是非、40の真偽カード&キリストにある解放へのステップをご利用ください。コチラ


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God bless you!






※ひぜ、正しい救いのプロセスも合わせてお読みください。

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